和歌山〔本屋プラグ〕さん企画、月亭太遊×大前粟生×笑福亭智丸『創作と落語』へ。
和歌山市万町にある、〔本屋プラグ〕さん。ユニークなイベントを企画されている本屋さんとお名前はかねがねお聞きしていた。
今回訪れた催し、『創作と落語』は、ビブリオバトルやシネリオバトル、一箱古本市、写真展、マンガ教室などが開催された、
『Yorozumachi Re:boot Culture』
の、一環の企画。創作"と"落語、物語りLIVE、がミソ。
会場は、本屋プラグさんのお向かいの、
〔旧有喜本店〕の、一箱古本市を開催しているフロアを通って、
地下へと降りた、
アジトのような部屋。ワクワク。
夕5時10分、お客さんも大体揃ったようで、開演。先ほど、お店の前でチラシを、お子さんと配ってらした店主さんが、ドテラを着て、まず、ご挨拶。
「ようこそいらっしゃいました。
和歌山で落語会はよくありますが、若手の人中心の会は、本当に珍しいですので、しかも今日はネオラクゴ家さん、新作も手掛ける方、そして気鋭の作家さんとの会、何が飛び出すか分からない、そんな会です」
出演されるお三方の略歴、主な活動を紹介される。こういう説明が入る、てのが如何に珍なる落語会か。
月亭太遊さんに就いては、ネオラクゴ家であること、レッドブルCM「ラップ×落語」監修者であることを。
笑福亭智丸さんは、古典と新作を手掛ける落語家さんで、また、詩集『歯車vs丙午』を上梓されている詩人でもあることを。
大前粟生さんに就いては、「去年リニューアル創刊された『文藝』に発表された中編小説がとても素晴らしく、関西の本好きでは、話題の作家さんです」と。
熱っぽくそれぞれの演者さんを紹介された後、今日の流れをざっくりと。
一部は18時まで。太遊さんの落語2席と、大前さんの朗読。
休憩挟んで二部、18時から19時くらいの間、が、智丸さんも加わって、トーク。智丸さんは今、大阪での仕事終わりにこちらに駆けつけているそう。
少し休憩挟んで19時から三部、智丸さんに2席、で、トリに太遊さん1席の、20時まで。
「落語や朗読のお写真撮影は許可を頂きましたので、SNSに上げて、盛り上げて行って下さい」とのこと。(悲しいかな地下で電波が届かなんだ。その代わりのノートです。あと、写り込んでしまわれた方、すみません)。
それでは、太遊さんよろしくお願いします、と交代される。
パッと照明焚かれて、だいぶ明るくなって、
太遊さん登場。写真は、登って直ぐ、「あ、台は、思いの外、大丈夫です」と客席を安心させてくれているところ。「めくるともっと不安になりますよ」と、台の脚を見せてくれた。
太遊「だいぶと天井低いですが、これ位が、最も笑いやすい空間です。布団とか売り付け易い空間。
さっきも紹介でありましたが、レッドブルとの企画で、ラップと落語をですね、コラボする、という、広告マンの考え方ですね。×、太目のカケルさえ付けたら何でもくっつくん違うか、思います。
ラップと落語の共通項、何があるか、と考えたら、フロウ、持っていき方ですね、その人のリズムが好きで、聴きに行く、てのが共通してると思います。
ま、今日は、創作と落語、ということで、この後の大前さんの朗読、三人でのトークで、その辺もお話したいな、と思いますが、まずは、僕のやってるネオラクゴと落語の違いを比較する為に、古典から聴いてもらいます。大きさ比べる為にマッチ置くやないですか、あんな感じです」
と、「十徳」を。終えて、
太遊「純粋な落語を聴きたい方は、ここで帰られた方が良いです。
エー、落語を本当に多く、200本位は作っています。その内、使えるのは8本くらいですが、でも、古典と言われるのも、今までに1万くらいは作られて、で残ったやつですから、それと比べるなんで、ねぇ。
で、今日はその8本の内から、2本やりますが、RPGをモチーフにした落語です。RPGのルールって、物語論に則ってるんですね。つまり、出て行って、何かを得て、持って帰る。
今の日本、西洋文化にこれだけドップリ浸かってるのに、落語は違うんですよ。だから、西洋文化にドップリ浸かったものをモチーフに、と思て作ったものを聴いてもらいますが……」
と、RPG落語「はじまりのまち」を。こちらは、太遊さんのYouTubeチャンネルでも聴けます。
台から降り際、「この落語、ミルクボーイのネタにシステムが似てるんですよね」と一言付け加えられ、大前さんと交代。
代わって登場された、大前粟生さん。
「小説を書いています、大前粟生です。
初めて、生で落語を聴きました。落語家さんにこんなこと言うの何ですけど、話上手いですねぇ。
普段は引きこもって小説を書いてるので、人前で話すのには慣れてません。朗読は今日で2回目です。
で、今日のお話を頂いて、ちょっと落語を基にした小説を書こうと思いまして。「あたま山」が、自分の作風と、目からビームが出る話とか書いているのですが、よく似ているな、と思いました。
(店主さんが、小説「あたま山」プリントを配られた)
あまり声を張らずに、普段の話し方のように朗読します。また、読んでいるうちに、付け加えたり省略したりしますんで、その違いも気にしてみて下さい」
と、大前さんによる朗読「あたま山」。
大前さん、ケータイに入れているものを読む。俳優さんがやるような朗読、読み聞かせのような朗読でもなく、正直、いつ「あたま山」を読み出されたか判別つかないくらいだった。淡々、でもなく、自然。
話は、クレーム処理の仕事をしていた男が、その業務、会社、諸々の苛酷さから仕事を辞める。いつ以来かの休み、全てが億劫になり、家から出ず。食料も尽きた時、最後に残っていたさくらんぼを食べたら……。
文章の語尾は、~だった、だが、読むのは、~だったんです。ですね。と変わっていた。また、セリフは、文章では標準語、朗読では関西弁に。「しんでやろうかな」が「しんだろかな」のように変化。
頭に生えた桜を写真に撮って上司に送る所では、実際にケータイをかざして写真を撮る仕草、そして「最近ケータイを変えたんで、シャッター音の設定を忘れてました。もっとハデな音がするものにしておけば良かったですね」と。
マクラ?でもあった、文章の付けたしは多く、リアリティーを増すもの、心理の裏付け、色々補足された。
例えば、木が生えたまま出社したところ。皆がちらっと見ただけでまた仕事をする、それを文章では、
会社ではちらっと見られただけだ。だれも、ぼくのことを噂したりしない。だれも他人に興味がないんだ。ぼくはほっといてもらえるのがうれしくて、やさしい職場だなって勘違いしてしまうところだった。でもぼくは仕事をやめるんだ。頭から木が生えてるから。
とあるが、「みんな疲れてるんですね」と加えられた。
病院で撮ってもらったCTを印刷して部屋に飾っている。頭のなかに張り巡らされている根っこがきれいなんだ。
病院で、無理を言って、貰って、額縁に入れて飾っている。根っこの「きれい」さを、シンメトリーだから、と足され、少し笑いを誘うような感じ。
SNSで画像が拡散され、皆が花見に来る。入場料を取るようになると、高い、と言ってくるヤツもいる。そういうヤツはブロックする。
遮音型のイヤホンを耳に嵌めて好きな音楽ーーエンヤーーを聴いていると、静かな風が吹いて頭の上からさくらの花びらが散ってくる。そこはぼろいアパートのベランダだったが、この頭で稼いだ金で買った高級ソファに座ってぼくはまどろんでいた。
エエ文章やな、と思った。
17時55分、読み終わられ、休憩に。
18時15分頃から、第二部開演。智丸さんも大阪、池田の〔落語みゅーじあむ〕でのお仕事から、無事到着された。上手より、太遊さん、智丸さん、大前さん、で進行役にご店主が座られた。
店主「大体お戻りになられたと思いますので、第二部始めます。お客さん含め、この人数ですんで、質問とかでなく、会話に参加してきてもらって構いませんので」
智丸「茶話会みたい」
改めて自己紹介あって、今来たばかりの智丸さんが「どんな雰囲気でしたか」に、太遊さん、「地下やから、という意味で、空気悪い」。
取り敢えず、今日の流れを智丸さんに説明。太遊さんが「十徳」やられた事に智丸「逆にネオラクゴですよ」と。そして、大前さんの朗読に就いて。
店主「ホンワリしてるけど、毒もあるけど、可愛らしい感じでしたね。意外と社会派、ヘビーな部分がありましたが」
太遊「あたま山の解釈として、物臭、という視点で言えば、億劫、の為に、過労を持ってきたのは、面白かったですね。
詩というか、書き言葉を、語りに直されてたので、シンプルで、辛い話だけどズーンとは来ず、ネタを見てるような感覚になりました」
店主「あの、実際に大前さんは、クレーム処理係をやってらしたんですか?」
大前「全部ウソです。カラダ壊した事も無いです」
店主「社会派というか、重たい話にしようと、狙ってやられましたか」
大前「いや、書いてる時は気付かなかったけど、朗読してたら、重たぁ、となりました」
太遊「リアリティーの問題で、本人の口調で話すと、辛くなったのかも。
創作と落語、なんで、創作物、ネタと判りそうだけど、意外とお客さんは、そういう風に見てくれませんね。
落語、それも古典でも、やり方次第では、ネタだと受け取って貰えない時がありますよ。落語の「犬の目」でも、かわいそう、言う人います。やり方で、ですが。
犬の目を取り外す所あるでしょ。リアリティーの問題になりますが、扇子でくるっと……大前さん、好きそうですね(頷かれる)。
それを取る時に、ポン、ポン、と、口で音を出して、とか、智丸君とこみたいに扇子で叩いてコンコロリン、やったらいいんですけど、鑿と金槌みたいにしてゴンゴン取る人もいてます」
店主「今日のあたま山、冒頭の方は、ホンマに大前さんの話やと思いました」
智丸「日本は、私小説が多いので、そう見てしまいますね。
本来、文学は、そういうものから、離れるもの、と思っていて、その離れられるところに憧れているんですが、落語は、肉体があるので、100%ウソに出来ないんですよね。
文章だと、子どもが書こうが誰が書こうが、同じように見られる。文章のそういう所が好きなんですけど、落語は違うんで……」
ちょっと尻切れですが、お中入り。離れます。
つづきは、こちら。