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〔ロームシアター京都〕でのシリーズ『舞台芸術としての伝統芸能 vol.3 人形浄瑠璃文楽』にて、「端模様夢路門松」「木下蔭狭間合戦 竹中砦の段」並びにディスカッションを聴く。

ロームシアター京都さんが、2017年度から始められたシリーズ公演、『舞台芸術としての伝統芸能』。「伝統芸能の継承と創造を目指す」として、vol.1は日本舞踊を、vol.2は能楽を取上げて、毎年2月に開催されてきた。

2018年開催のvol.1『日本舞踊編』は、スーパーバイザーに尾上菊之丞さんを迎え、金剛龍謹さんの袴能「内外詣」、井上安寿子さんの京舞「珠取海女」、吾妻徳陽さんの歌舞伎舞踊「娘道成寺」が上演された。菊之丞さんが、ロームシアターの機構を存分に使いたいと、サウスホールのステージを黒一色にし、セリを下げて堀のようにした四間四方の特設舞台を作って、その上で上演された。試みとして、各演目前に演者へのインタビューVTRを上映していた。

2019年のvol.2は『能』。「鷹姫」を、鷹姫に片山九郎右衛門さん、老人に観世銕之丞さん、空賦麟に宝生欣哉さん。これを、「サウスホールのステージに能舞台を設えて」、ではなく現代演劇のように、ドットアーキテクツによる空間設計(岩場や山の設置)、照明やスモークを使って、上演。橋掛りでなく舞台奥に照明を浴びながらハケていくラストが印象的だった。終演後の、西野春雄さんを迎えたディスカッションで、九郎右衛門さんが「能楽師は、能楽堂の機構に守られている」と仰有っていた。

そして、2020年のvol.3は「人形浄瑠璃 文楽」。スーパーバイザーに木ノ下歌舞伎主宰の木ノ下裕一さんを迎え、桐竹勘十郎さん作・演出による「端模様夢路門松」と、86年ぶりの人形付きでの上演となる「木下蔭狭間合戦」竹中砦の段の上演。「現在の人形浄瑠璃の課題、普及と伝承」を見据えての木ノ下さんの演目選び。

2020年2月28日、公演中止の発表を受ける。この辺りから、ぽろぽろと他の公演も延期や中止となり、3月に入ってからは、もう新たにチケットを買うのもしなくなっていた。その代り、配信が盛んになってきた。そしてスマホばかり観て過ごした、4月、5月。6月に、1回目の緊急事態宣言が解けた。が、大きな劇場での公演は再開の目途は立っておらず、延期だったものがどうなったのか、気にしながら過ごす。

解除直後の頃の楽しみは、映画館に行くことで、ちょくちょく仕事帰りに、信号と化した通天閣のお膝下〔新世界東映〕に行った。役者の個性が中心の、なんというか、芝居を観たかった。7月17日からの一週間、大好きな若山富三郎主演の2本立て、『怪談 お岩の亡霊』と『五人の賞金稼ぎ』が掛かった。この、『五人の賞金稼ぎ』で、百姓一揆に加担する若山富三郎演じる市兵衛が、立て籠もっている砦を攻めくる悪代官達を、連射銃で機銃掃射する。本当なんですよ。そこで、あ、竹中砦や、と思い出した。


「竹中砦に響く機関銃」。これは、十代目若太夫の相三味線だった、四代目鶴澤綱造の演奏を評しての言葉。2017年に京都市立芸術大学にて開催された『没後五十年追善 十代豊竹若太夫を振り返る』での、豊竹嶋太夫さんと竹本駒之助さん、神津武男さん、太田暁子さん(鶴澤三寿々さん)の座談でも、その機関銃の様子が語られた。撥捌きも掛け声も物量的に多い。また、ちょっと変わっていたこの綱造本人に就いての話も面白く、稽古をつける時、潔癖症の綱造は、相手との間にノートパソコンくらいの大きさの「ガラスの衝立」を置いていたそうな。「風呂嫌いの若太夫師匠と、よぉやってはったなと思います」と駒之助さん。ただ、若太夫は、あまり声を入れられるのを好まなかった為、後の相三味線には一言も発せさせなかったそうな。

8月に入ると、文楽劇場でも素浄瑠璃や踊りの会が開催されるようになり、徐徐に、本当に徐徐に、まだ半分くらいだけど、戻ってきて、9月、「端模様夢路門松」「竹中砦」上演決定の報が入る。86年ぶりが、87年ぶりとなった。この1年の長かったこと、ここまでの文章くらい長い。

年は明けまして2月17日にロームシアターさんから電話で、感染症対策として、会場がサウスホールから大きなメインホールに移りますがお席の番号はチケットに記載されている番号です、客席を詰めた状態にしておりますが、自由席も設けてありますので、そちらは間隔をあけております、自由席に移動して頂いても構いません、開場時間も12時15分でしたが、12時からとなっております、開演は変わりませんので、お気を付けてお越しください、と丁重な案内を頂いた。感激。

そして、2021年2月27日。

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13時開演。まず、主催の方が、定式幕前で挨拶。入替りで、桐竹勘十郎さんと、木ノ下裕一さんが登場。


木ノ下「『舞台芸術としての伝統芸能』、スーパーバイザーの木ノ下歌舞伎主宰の木ノ下裕一でございます。そして、今回上演します2つの作品の演出と主演の、桐竹勘十郎さんです」
勘十郎「桐竹勘十郎です、よろしくお願いします」
木ノ下「やっと、ですね」
勘十郎「やっと、です。ちょうど1年前の今日、明日が舞台稽古やぞ、という日に、中止が決まりました」
木ノ下「楽屋口で二人で意気消沈してました」
勘十郎「泣きましたですね。上演されるはずだった去年の2月29日という日は、私の67歳の誕生日の1日前でした。父が66歳で亡くなってますので、それを越える66歳最後の公演になるはずやったんです。ですんでねぇ」

ここで、木ノ下さんによる、テーマの「伝承と普及」の説明ありて、

木ノ下「一つ目の、つめもようゆめじのかどまつ、端模様夢路門松、に就いてですが、端(つめ)とは」
勘十郎「文楽の端役の人形のことで、ツメ人形と言います。ホントの端役でして。現在の三人遣いになる前は、一人で遣ってましたが、そういった、素朴さが人形にも残っています」
木ノ下「本来、主役ではない」
勘十郎「普段は一番下の役です。人形遣いとしても、入ってすぐはこればかりです」
木ノ下「その一番下の人形が、主役」
勘十郎「はい。今日はツメですので、普段の顔出しではなく、こういう、黒衣で、頭巾を被って、誰か誰やら分らんと思いますが、よろしくお願い致します」

木ノ下「それでは、準備をよろしくお願い致します。準備が整いますまで、少し解説、と言いますか、私の胸アツポイントを。

ツメ人形の表情の豊かさ、ですね。ツメ人形ですから、勿論今日も一人で操演するんですが、表情がこんなにもあるのか、と。前半ですが、今回の主役の門松ちゃんが、「オレにも三人遣いみたいに出来る!」と、ツメ人形のままで吉田屋の伊左衛門をやるんです。するとね、あ、伊左衛門がいる!と思うんです。

今回は、碩太夫さんが、この端模様夢路門松の一段をまるまる語ってくれます。太夫さんの中では最年少ながら、人物を語り分けます。三味線が鶴澤清介さん、清公さん、清允さん。三味線が三挺に、胡弓も入ります。音楽劇としても面白いと思います。それでは……」

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と、会場が暗くなる。

あらすじをパンフレットから引く。

ここは、道頓堀のとある人形浄瑠璃の芝居小屋。端役を務めるつめ人形たちは、今日も身を粉にして舞台で働き終え、楽屋に戻ってきたところです。しかし今日は、つめ人形のひとり、門松の元気がありません。仲間たちが訳を聞くと、「毎日舞台で、どつかれる日々はもう嫌だ。主役級の三人遣いになりたい」と打ち明けて泣き出します。しかし、仲間は「つめにはしょせん叶わぬ願い」と一笑に付し、相手にもしてくれませんでした。

その仲間のひとり、ツメ人形の長老の「オイやん」が、どれ話を聞いてやろう、と現れる。オイやんも「確かに自分も昔は主役になりたいと思ったことがあった」そうな。え、それならワイの気持ちも判ってくれるやろ?と伊左衛門の場面。オイやんそれ見て「なかなかうまいもんやなぁ」でも、床に合せて左が動くか?足のことまでは判るんか?

「出来る、やって見せたる。とは言うものの」と泣き出す門松。「悲しかろうな、泣いて泣いて、涙で悲しみを流してしまって、明日からまた頑張ろや」とオイやんは塒に帰る。泣き臥す門松。

泣き声聴いて、今度は馬や猿、狐や犬が出てくる。ここが人形芝居の面白いところ。しかし、悲しい哉、力及ばずと悟って、四匹も塒へ。あとに残った門松は、また泣き臥して、いつしか芝居小屋の明かりも消えてしまった。暗転。

翌日、門松の姿が見つからない。どこにおるのじゃ、ツメ仲間たちが探しているところへ、現れ出でたるツメの門松。ではなく、なんと立派な刺青の入った団七九郎兵衛姿の門松。「待った!待った!」と出てくる所が、文楽ファンには美味しいところ。良かったな、良かったな、今日は目出度い祝いや、思いっきり蹴とばしてくれてもかまわんさかいな、さぁ幕開けぃ、と幕が開く。

が。門松、動けない。どないしたんじゃ?動かんねん……出来へんねん!なんやて、取敢えず、幕閉め!と、てんやわんや。

ツメ仲間が周りを囲む。どないしたんや一体?アカンねん……出来へんねん。ヘッなんやしょ~もない、口ではエラそうに言うとってもこのザマじゃ、皆去の、去の!と、またも一人になる門松。「待ってくれ、わしが動かんのはな……」こういう訳じゃ。

と、ここから、「ツメ人形から三人遣いに変身したから」こその悩みを吐露する。それは端の端の役から主役への転身ゆえの葛藤でもあり、また、一人遣いから三人遣いによって、葛藤や苦しい心情を表現出来得ることとなった事を表しているようにも感じた。


先ほどのあらすじに、「今回の再演の為に、エンディングに新たな演出を加えた」とある。大団円で「ま、めでたく門松もツメ人形に戻った、祝いで踊ろうやないか」と、「瀬戸の段畑」を踊っていた。あのかぼちゃと茄子と夕顔の人形を中心に、人も犬も猿も皆で踊る。ジーンとしてしまった。

上演時間は約1時間。ここでは触れていない伏線もあって、また、木ノ下さんが仰る通りの音楽劇的な盛上がりもあった。また、碩太郎さんの、カン高い声が、ツメ人形たちの世界とよく映っていたと思う。照明の暗転、明転を使用するのが、新作ぽい。

この1時間の一段を語り切った碩太夫さん。今回の端模様夢路門松の前に、一段語った舞台を思い出したので付記する。


2020年1月30日、北浜にある〔青山ビル〕地下で行われた、上方文化芸能若手・中堅ユニット『霜乃会』(そうのかい)による、『霜乃会プラス』文楽編での「一谷嫩軍記」組討の段。この時の相三味線は鶴澤燕二郎さん。

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謡ガカリも「オーイ、オーイ」も、確り語ってらっしゃった。
口演後の、質問コーナーでは、碩太夫・燕二郎お二人の、稽古の様子や趣味、師匠の教え等を聴けた。

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印象に残っているのは、燕二郎さんの「一音、チーンと弾くのにも意味がある。意味の無い一撥というものは無いので、そこにも注目して下さい」と、碩太夫さんの「師匠の語りは情景が浮かぶ。聴いただけでどんな着物か、とか。僕はまだ声出すので精一杯。昔は、文楽を聴きに行く、と言っていたので、聴くだけでわかる義太夫を目指したい」。

また、この質問コーナーの司会が浪曲師の京山幸太さんだったのだが、「義太夫の三味線は、合わせているようで合わせていないもの」、合わない方が面白い、というスタンスである、に「浪曲も、合わせない方が面白いスタンスで、舞台に上がってから、何しようか、と決めるほどですから」と、異文化交流グループならではのお話が飛びだしていた。


話を戻す。ここで、20分間の休憩。

ブザーが鳴り、再び定式幕の前に木ノ下さんが現れる。

木ノ下「さて、これからは木下蔭狭間合戦を観て頂きますが、その手引きとして、お話したいと思います。木下蔭狭間合戦は、長い演目でして、全十巻の物語です。今日ご覧頂く竹中砦はその七冊目、ドラマとしては随分進んだ大詰めにいきなり飛び込むような感じですので、こういった所に注意すると楽しめるポイントをお話します。

大前提として、これは戦争の真っ最中の話で、モデルは桶狭間の合戦です。桶狭間は織田信長と今川義元ですが、木下蔭狭間合戦では、信長は小田春永、義元は齋藤義龍になっています。両軍にはそれぞれ軍師、ブレーン的な人物がいまして、小田方は此下当吉。齋藤方には竹中官兵衛。竹中砦の段はこの二人の軍師の知恵比べが行われます。

が、それだけでしたら、どちらが勝つかに注目すれば良いんですが、砦というのはお家のようなものです、ここに戦争を背景にしながら竹中家のホームドラマが進んでいくんです。ここからがややこしいんです。

官兵衛の娘・千里には恋仲の左枝犬清という人がいて、二人には子どももいます。この犬清、これが官兵衛と敵対している小田方の人間なんです。揉めそうな気配がしてますね。竹中家のドラマは、犬清の存在が絡まりながら展開していきます。

幕が開きますと、舞台に茂みがあります。ここには、今回は上演しませんが、官兵衛の妻関路が犬清をこの茂みの中に匿っています。官兵衛はこのことを見抜いていました。舞台が始まって、茂みから若者が出て来て驚くかと思いますが、犬清です。

ドラマは進みます。犬清と官兵衛は対面し、密談が行われます。ここで先に申し上げますが、ドンデン返しがあります。ここの会話劇を楽しみながら、このドンデン返し……ラストの大ドンデン返しの伏線にもなっていますので、要注意です。

で、ここからが、胸アツポイントなんですが、うねるようにドラマがアップテンポで盛り上がっていきます。このアップテンポのうねりに身を任せて楽しんで頂くと、豊かな体験になると思います。

三人の注進が出てくる度に、戦局が変化していきます。この変化に連れて、竹中家の人々の関係も変化します。戦争と竹中家が二重になっているんですね。

歌舞伎では昭和42年に歌舞伎座での上演がありますが、人形浄瑠璃では昭和9年の上演以来、87年ぶりです(客席少しどよめく)。ほとんどの方が初めてご覧になると思います。ごゆっくり、お楽しみ下さいませ」

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舞台には、忠臣蔵九段目のような屋敷。神津先生のツイートを拝借すると、

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件の茂みは階の横、下手側にあり、ブロッコリーのお化けみたいなマルマルとしたもので、その茂みに添うように手水鉢があった。

床に錣太夫さんを得て、良かったなぁ、と思ったのが、犬清と千里が自害しての今際の際、二人の仲を認めてやってくださいませと官兵衛に懇願する関路の、「莟の花を二人まで、散らすが親の慈悲かいの」。錣太夫さんの声の、伸びやかな、艶やかな、それ故哀しくなる声。関路を遣う勘彌さんもまた崩れ過ぎず、良い。犬清を匿う所を見てみたかった。
千里・犬清問題の合間に、三人の注進が代わる代わる、ドンチャンドンチャンと鳴り物を伴ってやってくる。

「竹中砦に響く機関銃」を今に受け継ぐような藤蔵さんは、まるで陣太鼓に負けじと吠えまくる。「一音一撥に掛け声が入った」という六代目友次郎もかくや、とばかりに、\ヨッ/、\ハッ/、\ッヨーイ/、\ウン/、\ウーン/、\ヤー/、\ヴンヴンヴン/、\ヨ⤴/、\オーッ/、\ウッ/、\イヤ/正直、普段の公演では、ちょっともう\ヨーイ/となる時もあるけれど、この「物語のうねり」を更に捻り上げていた。
掛け声だけじゃない、三味線もバチバチ。糸もいつもより多く繰ってらした。この動作も、見物に思えた。
二人目の注進、小田方の計略がいよいよ発動したことを伝える樽井藤太が帰り、官兵衛「スリヤ若者が切腹も、\ホッ/、苦肉の術であつたよな」。この、\ホッ/、僻耳、見間違いかも知れないが、糸を繰りながら、声だけ掛けてらっしゃった。

戦局の変化と共に、竹中家が崩壊していく。犬清の決死の計略に落ちた官兵衛、余りの事に身辺にあった鎧櫃を倒しつつ、「五十年来不覚を取らぬ官兵衛に、よくも恥辱を取らせたなァ」と、今度は腹から轟く大音声、これも錣太夫さんの魅力。そして、勘十郎さん遣う官兵衛は、腹から折れている娘夫婦の千里・犬清の襟首を掴んでズリズリズリと床に擦り付ける。土曜日の昼下がり、なんちゅうもんを観てるんやろか。この非日常も、観劇体験。

いよいよ官兵衛のライバル・此下当吉が、官兵衛の孫を連れてやってきて……終演。拍手鳴り止まず。


15分の休憩ありて、ディスカッション。幕が開くと、舞台奥の方に、屏風と、緋毛氈を掛けた床几が三つ。木ノ下さんが登場。

木ノ下「残って頂いてありがとうございます。ぐったりしてませんか?ここからは、ディスカッション、なんや物々しいですね、討論するみたいな。和やかに参りましょう。そんなに長くはないです。明日もありますので、ほんの6時間ほど」

鮮やかに和やかに戦場から空気を変えて、桐竹勘十郎さん、鶴澤藤蔵さんを呼び込む。すみません、物凄い重労働の後に。いえいえ、などありて、早速、復活ホヤホヤの竹中砦に就いてから。

木ノ下「まず、なぜ竹中砦と端模様夢路門松の二本立て、こういう事をしようとしたか、少しお話します。

まず考えたのは、ビギナーもファンも、同時に楽しめるものを、でした。そこで、1つは楽しい作品、もう1つは非常に重厚な時代物しかも復活上演。これなら、日頃から文楽に行く通のような方でも、楽しめるぞ、と。で、ここからが重要なのですが、僕だけがしたい、と思ってるかも知れない。それでは公演が成り立ちませんので、ロームシアターの方と、勘十郎さんにお伺いに行きました」

勘十郎「いつでしたっけ」

木ノ下「2018年の巡業先でした。その時は、ご挨拶で、まだ演目は伏せていました。ふんわりと、文楽の公演の企画がありますんで、是非出て頂きたく……。承諾して頂きまして。で、その後に、もう逃げられないようにしてから、演目を申し上げました」

勘十郎「そうそう、巡業先で、その時は、『時代物と、あと楽しいものを、と』位でした。昔から色色新作を考えてまして、その中から何か出来たらいいな、と思っていましたので、楽しいモノで、新作はどうですか、私の作った4作のうちのどれか、で。と、結構まだ気楽に考えてました。その後、こぉんな大変なことになるとは……」

木ノ下「で、恐る恐る、竹中砦……と申し上げたら、絶句されまして」

勘十郎「もう1つは、いつもやるものの中からかなぁ、と思ってましたので、ヘ!?と。外題だけは知ってましたが、粗筋くらいしか知らない。絶句しました」

木ノ下「87年ぶりの復活上演、と申してますが、素浄瑠璃では早稲田大学の企画で、藤蔵さんと、お父様の源大夫さん、当時の綱大夫さんが上演されてました。藤蔵さん、今回の企画を初めて聴かれた時はどうでしたか?」

藤蔵「人形が入るのを楽しみにしてましたので、二つ返事で。自分がやる分に関しては、ま、以前にやったことあるんで、はい」

木ノ下「早稲田での復曲はどのようにされていたのですか?」

藤蔵「四代目津大夫師匠と先代の寛治師匠の、昭和40年、NHKでの録音がありますので、その音源を元に。あとは、朱ですね。豊澤仙糸や、綱造先生のとか。取敢えず、手に入った朱を照らし合わせながらで。あとは、父の「麓風だから、こういう風に直そう」とかですね。ただ、ホンマがどれなのか、は判らんのです。竹中砦は人気があった曲でしたから、いろいろな座、劇場でやってたと思います。すると、風の解釈が変わってくる。父は、風の解釈を重んじていた人間なので、一つ一つの節を考えました」

綱造先生、が出て来て嬉しかった。あ、この綱造先生という呼び方は、「綱造自らがそう呼ばせていた」と前述の嶋太夫・駒之助座談会で話題に出ていた。「他の人は先生と呼ばせたりはしてなかった、変わった人やった」と。

ここで、藤蔵さん、一冊の床ホンを見せてくれた。

藤蔵「このホンは、父が使っていたものでして。表紙は六代目染太夫となっておりますが、元々は竹本越前大掾が、1848年の受領後に使ったものです。1856年に越前大掾が亡くなりましたので、少なくとも156年前のホンです。で、この本が、越前大掾から六代目染太夫に行き、五代目弥太夫に行き、九代目染太夫に行き、父の師である八代目綱太夫に行きました。昭和41年、国立劇場で竹中砦を復曲公演しよう、と話が立ち上がったのですが、頓挫しまして。それで結局八代目綱太夫師匠は出来なかったので、「お前はこれをやれ」とホンを父に託されました。「八世綱、五世織へ」と為書きがあります。父は九代目綱太夫の前名は織太夫でした。

で、このホンに、たくさん書いてあるのです。例えば、「ジロリと見やり」のジのところに、コワリ、と書いています。これは、コワリの音階に寄りなさい、ということです。見る人が見たら解ることが書いてありますので、このホンを虎の巻として、復曲しました。ホンというのは、色々とヒントを与えてくれるものです」

木ノ下「ホンがアーカイブになってますね。本日の上演も、それまでの早稲田大学での復曲の際の研究があって、出来ました」

次に、人形に就いて。

勘十郎「人形の記録は無くて、舞台の様子が判る写真が2、3枚しかなくて。木ノ下さんに見せて頂いたものだけです」

木ノ下「だから、カシラ割りが難しかったですね」

勘十郎「前にやろうとした公演の時に、残っていたら参考に出来たんですが、頓挫しましたんでね、何も無い状態からでした」

木ノ下「今回の官兵衛のカシラは?」

勘十郎「官兵衛は、〔口あけの鬼一〕です」

藤蔵「以前に素浄瑠璃でやった時の話ですが、その時は、大体の見当を付けて弾きました。この役はこのカシラかな、と。というのも、語る太夫は、ちゃんとカシラを踏まえてないと、語れないんです」

木ノ下「なるほど」

藤蔵「だからよく、『おい、カシラ見て来い!』と怒られたんです。『お前のでは、この役が遣えん』と」

勘十郎「ですから、錣太夫さんも、カシラは何にしますか、と聴きに来はりました。役の性根と合わないといけませんから」

木ノ下「チグハグになったら、語る太夫も遣う人形も、役作り出来ないですもんね」

勘十郎「そうです。せやから、解ってない、チグハグな太夫に対して、父(先代勘十郎)が、太夫の所に近づいてって、『カシラこれやで!』と見せたと言います」

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『文楽談義 ーー語る・弾く・遣う』(創元社、1993年8月10日発行)所収、「もっとおもしろい文楽を」桐竹勘十郎(二代目)、聞き手・横山正、文章化・蒲生郷昭より。ここの勘十郎は、先代つまり当代のお父さんの勘十郎。

木ノ下「藤蔵さん、素浄瑠璃と人形付きでの演奏では、感覚に違いはありますか?」

藤蔵「気合いは同じです。ですが、人形付きの芝居ですと、例えば、実際の出入りがありますね。そうなると、間を大きく取ってあげるとか。ですから、サインを出してあげます。今回ですと、軍勢の人形たちがまだ引っ込んでいないのに次のを弾くといけませんから、稽古の時に様子を見ておきます。歌舞伎の方の、竹本のように、役者とピッタリ合わせながら弾く、のではないのですが、サインを出し合うというか。バチッと合うようになるには、まぁ、まだそんなにやってませんからね」

木ノ下「リハ込みで、2回目ですもんね」

話は、人気曲だった竹中砦が、なぜ途絶えたか、に就いて。

木ノ下「観てますと、ストーリーのテンションも高く、エキサイティングなお芝居ですが、なぜ途絶えたのでしょう?」

勘十郎「なんでなんですかねぇ?絵本太功記の10年前に出来てるんですもんね」

木ノ下「藤蔵さん、どうですか?」

藤蔵「う~ん。通しでやらないと、筋がややこしい。太功記は、信長・秀吉なんで皆が知ってて、光秀の三日天下も解りいい。木下蔭狭間合戦は、誰が誰でと人間関係が解ってないとアカン、とか」

木ノ下「絵本太功記は、一段が一日の様子なので解り易いですね。木下蔭狭間合戦は、10年間のドラマ。しかも、今回は出ませんでしたが、石川五右衛門の筋もあるんです。その五右衛門の、生まれる前から話は始まりますから、非常にロングスパーンな作品です」

藤蔵「そのややこしいのが、いわゆる通の人にとっては、面白い感じだったんでしょうねぇ」

勘十郎「大河ドラマを全部観なアカンのが木下蔭狭間合戦。絵本太功記は、十段目だけ観ても、成立しますしね」

木ノ下「今日拝見して、太夫さんがスゴイしんどいんじゃないかと。リハーサル見て、感動したんですが、太夫さんも三味線も気の毒になりました」

藤蔵「今日も、糸を何度も繰りました。皮を破った時用に横に置いておりましたので、二丁ありました。普段の回転式の床でしたら、脇から出してくれるんですが、取りに行くわけにもいきませんから」

木ノ下「三味線でしたら、どこが大変ですか?」

藤蔵「マクラ、官兵衛が出てくるまで、ここで三段目の雰囲気を出さないといけません。なんとなく静かな前半です。犬清がお腹を突いてから水盃のあたりまでが、重くて辛い、しんどいですね。あとは、割り方三味線をブチかましたら、成立しますんで。後半の重いところは、官兵衛が、孫が可愛くて斬れない所。〽涙こぼさぬ、は太夫さんがしんどいんじゃないかと」

木ノ下「ハデな箇所と、シーンとした箇所ですね」

藤蔵「ハデな後に、ハァハァと呼吸は出来ないですからね。バーッとやった後にしんどい所、熊谷陣屋の、言上す!の直後の、義経、が物凄くしんどい。激しいのが、そのまま続いていればよいのですが、元に戻す、が一番しんどいそうです」

木ノ下「観てる方としては、そこが気持ち良いんですけどねぇ」

共感の笑いが起こった。話は、官兵衛の役作りに就いてに。

勘十郎「まず、官兵衛は手傷を負って、休みを貰っている身で、また、年齢を考えて、なるべく動かさないように。ただ、大体自分は動かすのが好きなのです。玉男さんは、動かさないんです。うちの父、先代から動かすのんが好きで。だから、ジッとガマンしてガマンして、というのは、物凄く、溜まります。鬼一のカシラというのは、アゴを使えんと遣ったらアカン、と言われてきました。アゴをキリっと動かす。鬼一のカシラは、文七というカシラの年齢がいって、頬がこけて、顎が細くなって前に出てる、そういうカシラです。未だに遣えてないですねぇ。アト、孫と初めて会う所。ワザとらしく、鎧櫃こかしたりしました。孫を斬る斬らないの所ですが、ホンのままだと舞台道具の構造として孫を受け取れなかったので、さっきこかした鎧櫃の蓋に、孫を置いてもらう、という形になりました」

木ノ下「拝見していてあの場面が、戦争の象徴の鎧櫃の上に子どもを置く、という対比が面白かったです。また、戦場で、当吉が「いぬのこいぬのこ」とあやして寝かしつける、というのもカッコイイですね」

勘十郎「当吉って、エエ役ですよねぇ。何がエエて、出番が少ないのにカッコイイ」

木ノ下「ぜひ、一カ月公演でやって頂きたいです」

話は、『端模様夢路門松』へ。

木ノ下「勘十郎さん、こちらはいつ頃に作られたのでしょうか?」

勘十郎「そうですね、今から38、9年前、三十の頃ですね。ふとある日、思いついたんです、ツメだけのお芝居も面白いやろなぁ、と」

木ノ下「その頃は勘十郎さんは足遣いだけの頃で?」

勘十郎「左を遣ってましたね。昭和58年、父が団七をもう一度やりたい、と言いまして、その時に私が、丸胴にワタ詰めて、刺青も道具に借りて描きまして。今日遣った団七は、その団七なんです。私はその時は、父の団七の足を遣いました。その頃に考えた作品です。

ツメ人形というのは、誰でも持てる人形になっています。誰でも持てる、というのは、人形というのは、人形遣いが衣装を着けますが、人形遣いが一旦衣装を着けたものは、たとえ衣装部でも触れない、触ってはいけないんです。が、ツメは、もう、廊下にズラッと吊ってるんです。首の後ろに、引っかけるための釘が打ってあります。

ツメ人形を遣ってると、〔ツメ人形〕のファンになって、だんだん好きなカシラが出来てきます。みんな顔が違いますので。で、ふっと、ツメばっかりの芝居があってもいいんと違うかな、と。

というのも、ツメ人形が活躍する芝居があります。『一谷嫩軍記』の宝引の段。これは物語の中でも、面白い場面で。ちゃんと語れる太夫さんでないといけないんですが、この場が、ツメだけで成立していたんで、いけるな、と。で、ブワーッと一気に書けました」

木ノ下「その頃の勘十郎さんの、主遣いになりたい、という気持ちもあったんでしょうか」

勘十郎「そういう気持ちが膨らんでる時ですね」

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前掲『文楽談義』より。お父さんもツメ愛に溢れている。

木ノ下「今日は特別ゲストに来て頂いています、門松クンです」

門松が勘十郎さんの手に。

木ノ下「門松クンのカシラは、預かりものなんですってね」

勘十郎「預かってるといいますか、借りたままになってると言いますか。僕の弟弟子になった簑二郎が、研修生の授業の一環として、その頃はカシラを1つ彫ることになってたんです。鳴門の大江巳之助さんの所に泊り込みで彫り方を習うんです。その時に、簑二郎さんが彫ったものです。コワゴワ彫ってたら、見てた巳之助さんがチヤッチャッチャッと彫りはって、せやから殆ど大江巳之助作みたいなもんや、と簑二郎さんは言うてました。研修を卒業した時に貰わはったのを、一回借りまして、今でも預かってるんです」

木ノ下「人形遣いの方にとっては、もうカシラは道具ではなくパートナーですね」

勘十郎「そうですね」

木ノ下「パートナーと言えば、お三味線は如何ですか?」

藤蔵「実は今日使おうと思っていた三味線を、二月の国立劇場での公演で破っちゃいまして。竹中砦は、よく鳴るその三味線でやりたかったんです。すぐに修理できるか間に合うか、三味線屋さんに頼んだんですが、難しくって。取敢えず預けて、色々試してたら、電話が入って、間に合いました、と。で、今朝です、文楽劇場に取りに行ってから、ここに来ました。だから、皮が張りたてなんです。やはりサラやと、響きが違います」

木ノ下「この演目にはこの三味線を使う、とかあるんですか?」

藤蔵「時代物にはウチバチの音がよくするもの、とか、世話物はヤカマシイとダメですからシットリした音のものを、とか。忠臣蔵の勘平もワザと鳴らんもの使いますね、太夫の邪魔にならんものを。逆に金襖物にはキーンとするようなものを。所有している三味線の中で、これはこれに、というのが何となくですが、あります」

木ノ下「日による機嫌はありますか?」

藤蔵「天候でとかありますね。あと、皮の張りたてすぐより、ある程度弾きこんでいないと、音がしないんです。今日はこの音で明日はまた違う音がします。三味線は弾いて皮を温めないと音がしませんし、また、腕も温まらないと弾けません。なので三味線弾きは朝早くに来て弾いてます」

木ノ下「共演者ですね」

藤蔵「鳴らない三味線でやるとしんどいですよ」

木ノ下「ホント、6時間位お話お聴きしたいところですが、最後に、お二人が今後やってみたいことをお訊きします」

藤蔵「早稲田大学で同じ木下蔭狭間合戦の壬生村の段も、内山美樹子先生と復曲しまして、CDになっています。折角父と一緒に、ああだこうだやりながら復曲した竹中砦と壬生村、文楽劇場でかけたいですね」

勘十郎「私も埋もれているものを復活させたいですね。父も言うてました、埋もれてるものをもっとやらなアカン、と。壬生村は石川五右衛門が出てきます。文楽には五右衛門が出るのは無いので、すごく魅力的です」

木ノ下「人形付きで観たいですね。勘十郎さん、藤蔵さん、ありがとうございました。竹中砦、明日もまだお席は少しありますので、よろしくお願い致します。本日はご来場ありがとうございました」

予定通り16時50分、終了。冒頭に出て来られたロームシアターの方が、「ありがとうございました。6時間の一部分をお聴き頂きました」と洒落たこと言いながら、規制退場を案内していた。

神津武男先生が、ご覧になられた後のツイッターで、「欠けた要素を補う場合にのみ〈復曲〉〈復活〉という語を用いられるべき」と仰られていて、今回の竹中砦は、欠けた要素、すなわち人形演出を補うものであるから、「正しく〈復活〉と表現し得る」と評されていた。ただ、今回は無かった、犬清を茂みに匿う端場も上演して欲しかった、と指摘されていた。尻馬に乗って一言言うと、今回のパンフレットには、文楽劇場の番付には必ず記載のある〔登場するかしら〕が無かった。観客の後学の為にも是非。端模様夢路門松はカンタンだったんですが。

明日もある、という言葉に、もっぺん観たいなぁ、と思いつつ、う~ん、やはりこの時節柄、二日も県を跨いでいくのはなぁ、と行かず仕舞い。ツイッターで、「二日目の座談会では、勘十郎さんが、『摂津国長柄人柱』を復活させたいと父が言っていた、というお話をされた」というのを見かけた。『舞台芸術としての伝統芸能』シリーズは、現代の劇場の機構を使うのもテーマになっていそうだから、面白そう。


さしあたり竹中砦二日目は、文楽劇場で観よう。ほんで帰りに新世界東映へハシゴしよう。そんな日が早く来る日を願う。