
『ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で』を読む/カラー図版
ジョン・M・マグレガーの『ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で』を読み始めました。
ヘンリー・ダーガーは1892年にシカゴで生れ、幼年期に両親を亡くし、シカゴの病院で雑役夫として働きながら、自宅で誰にも見せずに絵や小説などの作品を制作し続けていました。本書のタイトル『非現実の王国で』(In The Realms of the Unreal)は、ダーガーがひっそりと制作し続けてきた作品のタイトルでもあります。
本書は大きく3つのパートに分かれていて、最初がカラー図版、次がヘンリー・ダーガーによる『非現実の王国で』の抜粋(長すぎて全編収録は不可能)、最後がマグレガーによる解説・論考です。
まずはカラー図版から。掲載されている最初の作品は、十字架を立てた心臓の周りを天使たちが飛んでいる有名な作品ですね。前回に紹介した美術手帖の特集号の他、ダーガーの生涯を紹介したドキュメンタリー映画や桐野夏生『リアルワールド』の表紙にも採用されています。
心臓の下にずらりと並んでいるのが『非現実の王国で』の主人公、ヴィヴィアン・ガールズ――デイジー、ヘティ、ヴァイオレット、ジョイス、ジェニー、アンジェリン、キャサリンの七姉妹と、サリー・フィールダー、アンジェリニア・アーロンバーグ、マージョリー・マスターズという合計10名の少女たち。
この物語世界では、子どもを奴隷として虐待するグランデリニア国とそれに対抗するキリスト教徒の国の間で戦争が長年続けられており(南北戦争的な世界観)、このヴィヴィアン・ガールズはアビアニアの皇帝ロバート・ヴィヴィアンの娘たち。5~7歳という年齢ながら、戦場では馬に乗り銃を取って闘い、またスパイとして敵情を探るという活躍もしています。
七姉妹勢ぞろいで名前も記載されている――ということで、最初に見せる絵としては最適なチョイスですね。
しばらく、戦場で戦うガールズの絵が続きます。戦場でもドレス姿、中にはきちんと帽子をかぶり、バッグと手袋まで持っている姿もあります。50~60年代の写真や広告に出て来そうな感じ。ガールズの服装は、よく見るとデザインは違っているのですが(おそらくトレース元のデザインをなぞったためでしょう)、配色や柄模様を加えたりしてお揃いな感じにしています。黄色・赤・紫が多く使われ、スカートの裾にぐるりとドットを並べたデザインを多用しています。ダーガーお気に入り?
空の雲の描き方にも注目。ダーガーは気象に強い関心を持っていたようです。森林火災の煙の形も迫力がある。
ネズミだらけの部屋に閉じ込められた後、そのネズミたちを使って逃げ出す場面など、ユーモラスな描写も見られます。百戦錬磨の武人たちがネズミを怖がって全員テーブルに乗ってしまうとは!
巨大な竜のような生物の姿もあります。p.16には「洞窟から出たもののブレンギグロメニアン・クリーチャーが待ち伏せ。」とあり、この書き方だと敵なのかな……と思いますが、この生物(略称「ブレンゲン」)は子どもの味方のはずなんですよね、たしか。
男に首を絞められる少女の姿。この舌が飛び出している苦し気な顔は他の作品でも多用されており、ダーガーを論じる際にも重要な部分を占めているのですが、この作品では2人して崖から落ち、男の方が死んだため少女は助かります。
絨毯の中に隠れて逃げようとする姉妹。物語の中でも最もコミカルな場面のひとつではないでしょうか。

ページをめくると次の場面で絨毯を運んでいた兵士がつまづいて転んでしまい、計画は失敗に終わってしまいます。次ページの絵は、場面としては可笑しいのですが、背景の壁には三幅対のような形で大きな絵が3枚かけられており、それぞれに裸で首を絞められる子どもの絵が描かれていて、よく見ると恐ろしい場面になっています(なので写真は自粛)。
別の本(タイトルと著者は同じですが目次を見た感じ内容は別?)の表紙になっている「火の手」も印象的です。
ダーガーの描く暗闇の表現は、とても幻想的で美しいですね。この後にも、暗い洞窟の中でガールズが黒いシルエットで登場する作品がありますが、それもとても良いです。暗闇なのに謎の光源で「不思議な感じに明るい」(p.58)場面の色使いが効果的です。

その後しばらく、戦ったり捕まったり逃げたりする場面が続きます。咲き乱れる巨大な花々。少女の裸身に蝶のようなカラフルな羽と尻尾をはやした生き物(これもブレンゲンなのかな)。とにかくさまざまな物が空間を埋め尽くしています。
花や扇など装飾的に配置されているものもありますが、嵐が近づいている場面では文字通り、風船やおもちゃなどが空を舞っている!稲光と強風のもたらすカオティックなワンダーランド。

戦いや救出の場面をいくつか経て、ジェニー・リッチーとノーマ・キャサリン(これは人名ではなく激しい戦いと虐殺のあった地名のようです)の場面に続きます。ダーガー作品の中でも最も凄惨で恐ろしい虐殺場面。
後のパートでマグレガーが詳細な分析を行っているので、ここでは具体的な描写を省きます。
子どもが首を絞められて殺害される場面は他にもいくつかありますが、ここまで大勢が身体をズタズタにされる血みどろの虐殺場面は、この《ジェニー・リッチーにて》の逃走場面と、《ジェニー・リッチーを経てノーマ・キャサリンにて》の雪原だけだと思います。
ダーガーはいったいどこからこのようなイメージを思い描いたのか。何か発想の基になるものがあったのでしょうか。雪原の虐殺場面を見てまず頭に浮かんだのは、ブリューゲルの《幼児虐殺》です。ブリューゲル(父)の描いたオリジナル作品は後に描き直され、殺害される赤ん坊の姿が消され、動物や家財道具などに置き換えられてしまったのだそうです。息子が模写した作品には、生々しい死体が残っているものがあります。そういえばこれも雪原の光景でしたね。
しかしダーガーがこのような絵画を見たという証拠はありません。部屋に残した膨大な切り抜き写真の中にも、おそらくなかったと思います(あればどこかで言及されているはず)。また、内臓が露出したり四肢が切断されたりする描写には解剖学的な資料が必要です。長年病院で働いていたので、ここで解剖の場面を見たりしたのでしょうか。ダーガーは若いころに徴兵されていますが、医学的な理由ですぐに除隊されているので、戦場は経験していません。
恐ろしい図版の後は、花が咲き乱れる明るい色彩の場面が続きます。しかし説明文は「ジェニー・リッチーにて」つまりまだ戦場を抜けていないようです。空には稲妻が走り、子どもたちが裸で銃を持って戦う姿も描かれます。
これでカラー図版は終わり。次は小説版『非現実の王国で』の抜粋を読んでいきたいと思います。
#アール・ブリュット #アウトサイダー・アート #ヘンリー・ダーガー #非現実の王国で