
『ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で』を読む/解説
作品社から出版されている『ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で』を読んでいくシリーズ、最後の章はマクレガーによる解説・論考です。ダーガー自身の人生について、またその絵画と作画方法について述べられています。
部屋
ヘンリー・ダーガーは40歳から80歳まで、同じアパートの一室に住んでいました。高齢になり階段の上り下りが出来なくなって老人ホームに移った後、残された大量の荷物(ゴミ屋敷状態だった)を片付けていた大家さんが作品を発見した――という話は有名ですね。
このパートでは生前のダーガーの様子や、部屋に残されていた物たちが描写されています。
人生
ダーガーの一生について。彼は長大な自伝を残していますが、最初の方だけ事実で、後は架空の物語になっているらしい。
ダーガー自身が綴った幼少期の記述から、マグレガーは重要な指摘をしています。子どもの頃「立って独り歩きを始める年頃の子供たちへの強烈な憎しみ」(p.101)を抱いていたこと。そして天候と火災への強い関心です。

王国
ダーガーの物語世界の設定と展開についての分析。マグレガーは美術史の研究家ですが、精神医学/精神分析も修めており、両方の分野にまたがる研究を行っています。
失われた写真
物語本文の章でも述べた、写真紛失の件。写真の重要さ、返してくださいという神への祈り。その祈りが聞き届けられないことへの怒り。そのすさまじい怒りが作品中にどのように反映されているのか。
ブレンゲン
架空の生き物ブレンゲンについて。カラー図版に何度か登場しますが、その姿にはいくつかバリエーションがあります。
猛威をふるう自然
物語世界を襲う森林火災や大洪水。特に火災の場面にダーガーの興奮が表れています。
絵に描かれたイメージ
ここからしばらく、ダーガーの作画方法についての分析が続きます。

「発見された」イメージ
ダーガーが暮らしていた部屋の壁は、広告などから切り抜かれた少女の図像がびっしりと貼られていました。瞳の部分には、光を反射するように鉛筆で陰影がつけられていたようです。そして、一部作品にあるような残虐な切断写真などは、やはり見つかっていないらしい。
イメージの修正
ダーガーは物語の執筆を始めたごく初期のころから、写真などをトレースして彩色するという技法を使っていました。第一次世界大戦の時代なので、素材には事欠かなかったようです。というか、戦争のイメージが大量にあったことがダーガーを刺激して作画のインスピレーションを与えたのではないでしょうか。
ダーガーとコラージュ
ダーガーはその後、写真を切り抜いて組み合わせるというコラージュを作成し始めますが、近代戦のリアリティは彼の物語世界とうまく調和しなかったようです。
ダーガーとドローイング
ダーガーはコラージュを止め、元絵をトレースして描くドローイングを始めます。ここでは、元絵になったぬり絵や漫画とダーガーのトレース作品を比較して検討を加えています。
ダーガーが元絵をトレースして作品に組み込む手法を、マグレガーは「養子縁組み」と名付けているのですが、この言葉がどうもピンとこないんですよね。養子に関する文化的な違いが理解を妨げているのかもしれません。
写真による引き伸ばし
ダーガーは1944年から写真の引き伸ばしサービスを利用してイメージ素材を拡大していました。ドラッグストアでネガフィルムを作ってもらい、それを現像所で引き伸ばしてプリントすることで、大作を描けるようになったわけです。もうちょっと長生きしていたらコピーサービスが使えたのでしょうか。
お金がかかるので年に数点だけ、それでも200枚を超える紙焼きが部屋には残っていました。処理を担当した店員さんや現像技師さんたちはネイサン・ラーナーより前にダーガーの作品を(パーツだけですが)見ていたということになるわけですね。ぬり絵や漫画からトレースした少女のイラストを引き伸ばしてほしいと頼みに来る中年の雑役夫、というのはかなり変なお客だったと思います。

成熟期のコラージュ=ドローイング
マグレガーは紙の両面に描かれたダーガーの大型作品を「コラージュ=ドローイング」と呼んでいます。切り貼りではなくトレーシングによってパーツを組み合わせて描く手法ですね。このパートではダーガーによる少女という素材の扱い方や画面構成について述べられています。
ノーマ・キャサリンの大虐殺
マグレガーの論考の中で最も長いパートです。つなげられた3枚の画面いっぱいに、惨殺された子どもたちの遺体が散らばるという凄惨な光景を描いた作品。なので写真は載せませんが、ヘンリー・ダーガーの公式サイトで画像を見ることができます。(2024年12月現在、「IMAGES」ページの左から4番目)
マグレガーはここで、三福対の画面構成や個別モチーフの描き方などに関して詳細に検討しています。ぞっとする物ばかりなので読み進めるのも大変です。
中で「ダーガーはその構成をいくつかの点で解剖図譜を手本にしてやっている」(p.125)という点は気になりました。ダーガーはありとあらゆるイラストや切り抜きを部屋に溜め込んでいましたが、お手本と思しき虐殺場面や遺体の図などは見つかっていないのです。発見される前に捨てられた可能性もありますが、勤務先の病院で見た可能性の方が高そうです。
マグレガーは「この怪物じみた目の挑発的美学に匹敵する例を、アートの中に私は他に知らない。」(p.126)と書き、ここに注釈をつけて「★36 サディスティックなまでの暴力と解剖学的切断を嗜好する点、ダーガーに匹敵するアーティストに日本の浮世絵師、歌川国芳(1797-1861)がいる」(p.135)と述べています。というわけでどうしても気になってしまうのですが、マグレガーは国芳のどの作品を念頭に置いていたのでしょうか。「解剖学的切断」が描かれていたとすると、その「お手本」は西洋の学術書である可能性が高いと思います(国芳は西洋の銅版画をいくつも作品に取り入れているので)。
しかし「暴力と切断」なら岩佐又兵衛の方が怖いと思いますし、静嘉堂文庫美術館にある菊池容斎の《呂后斬戚夫人図》もかなり凄惨ですけど。
庭の子供たち
花に囲まれた子どもたちとブレンゲンを描いた大作について。また、ダーガー自身が生きた時代と、この世界をどのように構築し、どのように生きていたかが考察されます。
ジョン・M・マグレガー著『ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で』はここで終わりです。最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回はまた「アール・ブリュット」全体像の話に戻ろうと思います。
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