中上健次論(0-7)『覇王の七日』の謎 浜村龍造
秋幸が異母弟の秀雄を石で撲殺した。
ふたりの実父である浜村龍造は事件を鷹揚に捌く。
浜村龍造は秋幸が異母妹のさと子を姦したことを直接告げられても小波さへたてぬ強心臓ぶりを発揮して秋幸を落胆させている。
もはや秋幸の標的が浜村龍造の血脈の断絶にあることは明白である。
しかし秋幸が秀雄を殺害した後、浜村龍造は自室に「引きこもる」『枯木灘』では自室に七日間の「引きこもり」後、宣言する。
直後の記述に、上記引用の内容は真実ではないとある。しかし後の『覇王の七日』に於いて「引きこもり」中の詳細が記されている。
ここが分水嶺である。
「路地を立ちのかせろ」の宣言は決定的である。
この宣言の意味をどのよう解釈するのか。
『地の果て至上の時』での秋幸と浜村龍造の関係性の変化をどう捉えるか。
『地の果て至上の時』の秋幸は導入部分から土建の請負師から材木商に転職しているようにしかみえない。浜村龍造の態度も自分のすべてを秋幸に委譲しているかのようだ。
この時点で浜村龍造は秋幸との対立を終えているようにみえる。秋幸もまるで浜村龍造に成り代わってしまっているような態度をとっている。
その要因は路地の消滅である。路地がなければ「父殺し」を実行できないのだ。
つまり浜村龍造の「路地を立ちのかせろ」は秋幸への禅譲の宣言である。
浜村龍造と自死の違和感を拭えない。そして目撃者秋幸の「違う」の意味。
今まで秋幸は自らの手によって龍造の一統を絶ちたかったからだと思っていた。だが、今、書きながら奇妙な考えが浮かぶ。
「違う」の意味は秋幸が自らの手により浜村龍造を亡き者にしたかったのに果たせなくなることへの悔恨だと考えていたが秋幸は「死ぬな」と言う意味で言ったのではなかったか。
似つかわしくないが「和解」するための助走だったのではないか。そのための「浜村木材」での修行期間。
秋幸も龍造も分かっていたのだ。
このままだと「和解」の時がやってくることを。そしてそれが友一にどう見えるかも。秋幸の「和解」を拒むための自死ではないか。
秋幸の眼前で自死したのは自死の事実に秋幸が疑念をもたないないため。
そして、秋幸以外の者には秋幸が龍造を自死に見せかけた疑惑が残るように死ぬこと。
特に友一が秋幸を憎み続ける余地を残すため。
荒唐無稽だろうか。
私はかなり本気で推測している。ヒントは『覇王の七日』に痕あるのではないかと読み直すのだが痕跡は見つけられない。
答えはまだない。