巫山戯る
【日日是考日 2020/10/24 #012 】
過去を否定して、当時から変化した現在を肯定したい自分。
現在失ってしまった幸福の形を、過去の自分から導きたい自分。
この両者が、弁証法的に支え合って、なんとか存立している人間。
そういうものを表現しようと思って書いたのが、
『煙の出る星』であった。
昨日寝ながら考えた小説で、小説としては初めて投稿である。
noteでは、初めて人に読んで頂く為の文章を書いた。
将来への念の為、その思考回路を書き留めておこうと思う。
「煙の出る星」「巫山戯る」この二語から物語を連想した。
これらは、武田家の軍記『甲陽軍艦』に現れる言葉で、
「煙の出る星」とは流星のこと、
「巫山戯る」は「ふざける」の当て字である。
流れ星と言えば、
「星が消える前に3回願い事を唱えることができれば、願いが叶う」という迷信である。
主人公はそういう幼い頃に信じ、胸を躍らせた”真実”を大人になった今の視点から回顧し、
なんの根拠もない所詮くだらない迷信に一生懸命であった自分を、
恥ずかしい、情けない、だが同時に、愛おしい、温順だったと感じ、
無性に当時のことを可愛らしく、また馬鹿らしく思う。
そうして、当時の行為を、現在の精神で以って実行する。
それが、「明日世界が終わっていますように」であった。
到底叶う余地のない巫山戯た願いである。
主人公はこれが叶わないことを確かめることによって、
つまり、所詮迷信など誤りに過ぎないのだと確かめることによって、
素直で愚鈍だった過去を否定し、現在の自分を肯定しようと試みる。
だが、結果的には、極局所的ではあるものの、巫山戯た願いが実現されるのである。
そうして主人公は、巫山戯た願いを部分的に叶えさせた、”天道”のようなものを予感し、
「世の中捨てたもんじゃないナ」
と独り言をつぶやくのである。
っと、構造的にはこんな感じなのだが、
分かったことは、
この主人公は僕だ。
根拠のない迷信などを馬鹿にしつつも、
どんなことも信じることが出来たあの頃の素直さに憧れている、
そういう精神状態をまんま表している。
まさに最初に書いた不安定な弁証法的自己確立である。
だが、そういう風に自己を確立している人は、
特に若い人などには潜在的にまあまあいるのではなかろうか。
また、文章に対する意識としては、
“丁度いい浅さ”を目指した。
“丁度いい深さ”でもいいのだが、
書こうと思えばもっと深い文章を書ける、
という徒なる矜持を保持しておきたいので、
“丁度いい浅さ”ということにしておこう。
実際には、丁度よくもなんともない、
ただの駄文なのかもしれない。
自己論評は痛々しくなるなぁ乁| ・ 〰 ・ |ㄏ