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#fffafa

「雪が降った。」

この言葉に人はどのようなイメージを描くだろう?

雪国で育った人は、雪かきに苦労する人々を言葉の中にみるかもしれないし、
雪に慣れない人は、白雪の清廉で美しい情景を思い描くかもしれない。

札幌では、最近一気に雪が降った。
一晩にして街が白くなった。

今、私の目の前に広がる雪の白さは、煩わしくも、美しくもない。
それは、「#fffafa」だ。

#fffafa  によって世界に白が出力される。
私は、#fffafa を入力して白さを知覚する。
私が雪の白さをみるというのは、#fffafa のやり取りでしかない。そんなふうに思われる。

#fffafa  に意味はない。
それは、「#」「f」「a」という任意の記号の羅列にすぎない。
私は機械じゃないけれど、今、機械的ではある。
機械が白をみるのと同じように、私は白をみている。
私はなんらかのプログラムでしかない。そんなように感じる。

こんなふうに、私の感じる世界は、最近、なんか空虚だ。
ただ空虚というより、空虚さすらもない物理的な空虚。
そんなものが、私の中にあるのでなく、私の周りにあるような気がする。
世界がどことなくデカルトっぽい。

こんな具合で、創作ができない。
創作したい意欲はあるのに、言葉が意味をもって現れない。
どうしようもなく虚しいから、世界を創ってそこで休みたい。

まずは、雪に触れてみよう。
きっとそれは、#fffafa ではなく、冷たさとして現れるはずである。

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にわ。
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