精神の慣性
【日日是考日 2020/10/23 #011 】
最近趣味でしていた編集などにも手が伸びなくなってきた。
兎角、何に対しても意欲の湧かない状態。
惰性に感けている状態。
精神が恒常性を欲しているのかもしれない。
確かに、現状この生彩ない日常を非難されるようなこともなく、
外界との接触を可能な限り避けているこの日々は、ある種最も生物的に安全な状態に在るとも取れるのである。
故に、本能に近いレベルで精神がここに安寧を築こうとしている。
所謂「面倒くさい」とは、精神の慣性であると思う。
総じて面倒くさいという感情は、精神状態なり意識の向かう方向なりが大小変化を求められる時に生じる。
食器洗いが面倒なのは、食事の平穏な精神状態を保ちたいからで、
食べる行為に意欲していたのに、洗う行為に意欲をシフトチェンジさせる、その意識的労働があるからだろう。
実際、大概、その壁を超えてしまえば、
始めたことに慣性が働いて、面倒臭さもいつの間にやら霧散している。
えー、、
この「面倒臭さ=精神の慣性」が正しかろうがなかろうが、
こんなんは、所詮、何かをやらない為に生産した言い訳でしかないのである。
何か環境を変えねば。
新しい施策を練らねばならん。
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