感情移入出来ない・感情吸出する
映画やらドラマやら小説やら、
物語に共感することが難しくなったのは
何時からだっただろう?
特に、登場人物の感情が汲み取れぬのではない。
そこに感情移入出来ないのである。
それは、恐らく、
彼等と自分とを対等に感じ得ぬからである。
そこには、共感の壁が感じられるのである。
感情移入とは、
客体を主体のことのように感じることなので、
客体は主体に類似した感覚を備えていなければならない。
謂わば、その感覚が、
共感の壁を超える手段である。
換言すれば、
人に共感を覚えた場合にのみ、
人はその人に感情移入出来るのである。
私が物語の人物達に感情移入出来ない=共感出来ないのは、
彼等が自分とは相異なる感覚を持っているように謂われるからなのだろう。
私が感情移入が困難であることに気付くに至ったのは、
最近、共感を覚える物語に出会えたからである。
これは人生で二度目のことだ。
私の裡に醸成され、集積したものを
見事に表されていく快さを久しぶりに味わった。
また、それと同時に気付いたことは、
感情移入出来ぬ代わり(と言って良いか判らんが)に、
感情吸出が得意になったということである。
感情移入は、
自分が客体へと入っていくことで成り立つが、
感情吸出は、
客体は客体のままであり続け、
その心象を察することで成り立つ。
したがって、
感情吸出において察せられた感情は、
決して自分の感情ではない。
その感情もまた、客観的に在る感情なのである。
例えば、登場人物が喜びを感じている時、
感情移入型の人間は、
自分も同様に喜びを感じるのに対し、
感情吸出型の人間からしたら、
「喜び」が言葉としてあるだけである。
「この人は喜んでるんだなぁ」という、
客体視点から抜け出せないのである。
日常生活においても、
大概それは同様の働きをして、
感情吸出型は、人の話に込み入って入っていくのが不得手で、
その人も客観視してしまう。
良く言えば、
よく全体が見えている、
人の気持ちをよく理解することに長けている
と言える。
うーんとまあ、
世の中に流行が常にあるのは、
殆どの人が感情移入が優位に働く人だからなんだろうなぁ。
ひょっとすると、
私が人からサイコパスだと称されるのは、
相手の気持ちをよく理解するくせに、
一向に冷めたような態度を取っているように映るからなのかもしれない。
【日日是考日 2020/11/20 #038 】