和洋折衷というけれど、
和洋折衷が日本中を闊歩している。
今朝も情報番組で日本に渡った外国人生花アーティストが紹介されていた。
何やら、日本の茶器やら、日本の象徴的植物やらを用いて、
和洋折衷を詠っているのだが、
僕には、そこに日本の美学が一向に視えないのである。
これに限った話ではない。
大概、(勿論全てではないが、)和洋折衷を詠った作品は、
確かに、その材料・物質において
日本のものと西洋のものを融合させているが、
精神面では、西洋的芸術観の押し付けが殆どである。
なに、僕も日本の伝統芸術に聡い訳では決してないので、
「お前の感性が間違っている。」
と言われれば、それまでだが、
そんな素人目に見ても、
「間」がないこと、
自然をありのままに活かそう、という態度がないこと
にくらい気付く。
尤も、そういう作品も鮮やかで美しいものも多いのだが、
「和の要素を取り入れた」等と紹介されると、
僕には、一寸ばかり気に触る。
とはいえ、折衷ということが、
和の精神の根本的内容にかなり近似しているので、
只々、芸術の進展に僕の感性が追いついていないだけなのかもしれないのだが。
芸術なのだから、創造も解釈も自由で、まあいいんだろう。
こんなふうに、イチャモンつける方が、
芸術の自由を制限し得ることになんのかもしれないし。
とはいえ、文句言うのもまた自由ってことで、
そこまで、寛容にならないといけない。きっと。多分。
「ならないといけない。」というと、制限に聴こえるけれども。
うむ。
堂々巡りに、ただメタに空転しそうなので、終わり。
【日日是考日 2020/11/11 #029 】
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