魔法の言葉
つぶやくと元気になれる言葉ってありますよね。
子どもの名前
旦那さんの名前
心に響いた名言
祈りの言葉
思い浮かぶいくつかの言葉の共通点は
そこにポジティブな何かを感じていること。
そのポジティブなエネルギーは
落ち込んでいたり調子が悪いときに
私を引き上げてくれる小さな光のよう。
その光を頼りに
また立ち上がり、歩き出す。
そんなことが
これまで数えられないくらい何度も
あったような気がします。
今日の私にとって
その言葉は「楼蘭」(ろうらん)
調べてみると「楼蘭」は
かつて中央アジアにあった国の名前。
その国はシルクロードの分岐点にあり
長く栄えた古代国家だったけれど
砂漠に呑み込まれて消滅してしまったそうです。
そんなちょっと切ない背景を持つ言葉ですが
私にとってはそうではなく。
とても大切な記憶を呼び起こしてくれる言葉です。
大学を卒業してからの数年間。
私は伊豆の旅館で仲居さんとして働いていました。
「楼蘭」はその頃
よく足を運んだ珈琲屋さんの名前。
そのお店は60代半ばくらいに見えるマダムが
1人で切り盛りしていた小さなお店で
営業時間も定休日も
決まっていない
行ってみて開いていたら
「やった!」とうれしくなる。
そんなお店でした。
看板もとっても小さくて
移動はもっぱら車ばかりの伊豆では
簡単に見落としてしまうようなさりげない佇まい。
その存在に気づくことなく
通り過ぎてしまってもおかしくない楼蘭に
足を踏み入れることができた幸運を
感じずにはいられません。
「珈琲屋」さんというと庶民的な感じがするけれど
楼蘭はそのイメージとは違う独特の雰囲気。
古いけど落ち着く
狭いけれどくつろげる
飾り気はないけれどものすごくお洒落な
素敵なお店でした。
切り盛りするマスター(呼び方はこれであってるのかな?)
もとっても素敵な方で控えめだけどパワフルで
白いシャツがよく似合う上品な女性。
私はそのマスターが大好きで
仕事に疲れたときや誰かと話したいときに
そのお店に足を運び
マスターとお話しするのが本当に楽しかったのです。
もちろん、珈琲もめちゃくちゃおいしい。
あれから何年も経つけれど
楼蘭より美味しい珈琲にはまだ出会えてないって思うくらい
おいしい珈琲でした。
そういえば
楼蘭を大好きになった最初のきっかけは
ある本が置いてあったことでした。(この本です。)
学生時代、環境問題に関心があり
仲間とともに学び活動をしていました。
けれど、社会人になり地元を離れると
その価値観や想いを共有できる人が近くにいなくて
さみしさと孤独を感じていました。
仕事でも、それまでアルバイト経験はあるものの
社会で働くということはそれとはまた違い
いろんな想いや悩みもあり
壁にぶつかってばかり。
そんなときにふらっと立ち寄った楼蘭でこの本を見つけて
ちょっと大げさだけど救われた気持ちになりました。
ここでなら「私」でいられると。
「楼蘭」は私にとってそんな言葉。
自分らしくいたいのにいられないときに
光を与えてくれる。そんなイメージです。
伊豆を離れて14年。
きっとあの「楼蘭」はもうないような気がしています。
古代国家「楼蘭」が砂漠に呑み込まれたように
あの珈琲屋「楼蘭」は時間の流れの中で幻となってしまったのかも。
だけどきっと私はまた思い出すのです。
楼蘭のカウンターに座り、おしゃべりをしたこと。
また明日の仕事も頑張ろうと思えたこと。
マスターを憧れの眼差しで見つめたこと。
あの本と出会ったときの安心感を。
楼蘭
いつかこの言葉を
私の何か大切なものの名前にしたい。
それまではときどき
つぶやきながら温かい想いで
心を満たしていこう。
そして私にとっての「楼蘭」を
またここにつくっていこう。
そんな気持ちになった午後。
元気が出ました。
この言葉を思い出させてくれた友人と
今日のおしゃべりの時間に感謝。
いつもありがとう。
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