アウトプットは誰にする?自分か君か、それとも貴方か?
こんばんは、レンです。
今回は、noteを書いてて学んだことを紹介します。
noteを書くときに「自分の書きたい事」を書くのか「誰かのために書くのか」迷っていませんか?
また、「行動しない自分」に飽き飽きしていないでしょうか?
そう今のままだと、このまま自分は一生変われず行動できない。そんな自分に、嫌気がさしてふさぎこんでしまっていないだろうか?
大丈夫、まだ間に合う。別に「考えすぎること」も「行動しない事」も、「書きたい事しか書けない事」だって、何も悪くないんですよ?
要は、考え方次第かもしれません。
今日は、ちょっとだけ自分に甘く優しくなるためのnoteです。
まず誰のために書くのかを考えてみよう
執筆する際、「誰のために書く?」という事を考えてみましょう。そうすると、「どんなことを書きたいんだろうか?」ではなく、「何を知りたいだろうか?」という視点に変化していくと思います。
その際に、「知らない誰か(無設定)」に対して書いても、大衆にはそこまで響かないです。だって、その読者は存在しないかもしれないからです。自分よがりの独りよがりの記事になってしまいます。
相手の視点に立てたら苦労しねえんだよ!という方へ
誰かの視点に立って書くのに苦労していませんか?少なくとも、僕は苦労しています。以前、記事でも紹介しましたね。
未だに誰の気持ちも分からないし、そもそも自分の気持ちだってはっきりは把握できていません。生きるのは難しいなぁ、というくらいポワポワした感覚です。
さて、そんな僕が「誰かのための記事」を書く際には、どうしたらいいのでしょうか?簡単です、目の前の誰かではなく、自分に対して執筆してください。
もしもあなたが、「誰かのための記事を執筆したい」と願うのならばこそ、
過去の自分を思い出して、その自分に対して懇切丁寧に言葉を尽くして執筆してください。そうすることで、過去のあなたが救われます。
過去のあなたがどれほど特殊な人間でも、世界に一人くらいは同じような内容で悩みます。50%くらい被っていればいい、30%くらい被ればいいであれば、もっとその数は増えるでしょう。
その総和が、過去のあなたと似たような悩みを持っている方の参考書になります。
私は、人の気持ちが分かるわっ!という方へ
ならば、早速執筆していきましょう。どんな人に対して、その人がどのような悩みを持っているのか、明確にしてください。そして、その人の生活の範囲内で、解決できる提案をしていきましょう。
注意しなければならないのは、「都合のいい読者を作り出さない事」です。小説でも、「魔法ものSF」であれば海外でも日本でも人気があります。ですが、怪獣大決戦は、日本くらいでしか需要がありません。
仮に、ゴジラを売り出しても海外ではそこまで受けないでしょう。シン・ゴジラの多額の制作費用に広告費用を出して意味を作れば別なんですけど。それは、悲しいことに僕らのようなパンピーには無理ですね。
人の気持ちがちゃんとわかる方は、こうした初歩的なミスをしないで済むと思います。なので、ちゃんと誰か一人をしっかりと想像してその人の為に、その人の心に寄り添った記事を執筆してください。
自分の為に執筆することも時には重要
僕のエッセイのように、「自分の為に書く」という事も重要です。自分の為に書くというのは、思考整理になるしnote上に記述しその時考えたことや思ったことをメモする効果もあります。
悲しいことに僕はトラウマが多すぎて、記憶容量が少ないです。それに、毎日の記憶を保持していると、一週間も持ちません。なので、直ぐになんでも忘れる癖がついているのです。
が、これだと「自分のトラウマすら忘れる」という事態が訪れます。日本で会社員をしていると、二日に一回はトラウマができます。
僕のようにトラウマまみれでなくても、様々な気づきや、学び、ちょっとした心の変化を記述していくことは重要です。それをするだけで、その時の学びを思い出すきっかけを、たくさん残すことができます。
その時に注意したいのが、「思考の流れ」または「感情の動向」を記述することです。どのような手順で、思い付きで、感情の動きで、思考方法を踏んで、自分がその思いをしたのか。そのことを考えて実行しようと思ったのかを、記述していくようにしましょう。
行動できない要因をかきだしてみよう
自分が「行動できない」と悩んでいる時、その要因をトコトンまでに書き出してみることも重要です。実際にかきだして情報を整理してみると、「本当に無駄なこと」をあぶりだすことができます。
先ほどもかきましたが、「自分の為に書く」時にはメモのように使うことができます。メモのようにかきだしたそれらを、今度はしっかりと分析していきましょう。
「行動できない」という悩みや課題に対して、どのような予定を立てて対策を実行していくのか。そして、考えた対策はどの程度有効なのだろうか。
検証しながら、何度も修正していきます。その過程も、できるだけ書き写していけば、徐々に行動する準備が整っていくはずです。
時にはどうしようもない課題がありますが、どこかに逃げ道がないか考えてみましょう。一つでも逃げ道が見つかれば、その先に新しい道が分岐している事があります。時には、その周り道が行き止まりになっていて、悲しいことに引き返すことが必要になることもあります。
行動することが全てではない、という結論に至ることもあるでしょう。冷静に考えて、検討して推敲を重ねて。その先に「不要だ」を切り捨てる選択をすることも、悪くはありません。
できない自分を無為に貶すのではなく、なぜその選択をしたのか。その選択をするしかなかったのか。そうした行動の要因を分析して洗い出す事にも活用できます。
ただ書くことに意味がないのなら、意味を見出す
これまで、「誰かに伝える」「書くことを利用する」という事に焦点を置いて紹介しました。最後にですが、「書くことに意味を持たせる」ことを考えてみましょう。
さて、「努力したって仕方ない」現象を知っていますか?結局、「何か結果が出なければならない」という話ですね。なんの結果も出なければ、そこに注力している意味がない、と勘違いしてしまうことです。
「ただ書くだけ」では、当然意味はないでしょう。例えば、一人で泣き言をわめいていても、あなた一人が叫んでいるだけで先はないですよね。
それと一緒です。たとえnoteという媒体を使用して執筆しようとも、一人で喚いていても、意味がない。
自分がここに泣き言を重ねるだけでは「なんも改善されなかった」となって、潰えてしまいます。ただ喚くで終わらせない為に、新しい意味を持たせたくて、多分悩む。ここを突破する方法はただ一つだけです。
書くことで何を見出したいのか?を決める
結局は「目的意識」で変わってきます。僕のように心の機敏や思考の機敏を感じ取るようにしたければ、エッセイ。でも、毎日の行動を知りたくて、何か記録をつけたい場合には、日記でいいでしょう。
ビジネスがしたいのか、それとも語りたい物語があるのか。誰か一人に伝えたい想いがあるのか、手紙のように叫びたいものがあるのか。
「書く」という話題では、様々なことが考えられて。意味が分からなくなるくらい、価値と意味を持たせることができます。見出したいことは、それこそ星のようにあると言っても良いでしょう。
決める際には、簡単なのは「日記」です。自分の行動をベースに何を感じ考えたのか、簡単な言葉で表現することから始めてみてください。それが続けば、「書く事」への抵抗がないことが分かります。この時の意味や価値は「書くことの練習と継続への実験」ですね。
次に書くことができる事が分かれば、価値や意味を変えていけばいいです。どのようなことがあるでしょうか?そのまま日記を継続することで、「自分を振り返る」とか「思考を整理する」とか、様々なことが考えられます。
ステップわけしなくても良いですが、しっかりと少しずつ一歩ずつ。確認しながら進んでいきましょう。