折れた心を引きずり、嫌な世界を生きていく
ひゅぅぅぅっと、音を立てて過ぎ去っていく冬の風。
この風に煽られながら歩く事にも、最近は抵抗がなくなったように思う。
冬の風はとても冷たく、着こんでいる服越しに容赦なく僕の体温を奪い去る。
「寒いなぁ」
零れた言葉が反響することなく、そのまま消えていく。なんというか、ぽっかりと空いた穴に、自分から入っているような感覚だ。
もう、この帰り道を歩くことも、今年はもう僅かなのか。そう思うと、なんだか寂しいような、次の一年間が待ち遠しいような。
なんだか、複雑な心境だ。
冷たい世界というのは、情けもなければ容赦もない。
急激に気温を落としたこの世界は、
厳しく僕らに接してくる。
信号待ちをすれば、僕の耳先が真っ赤に染まる。
歩いていても、耳たぶが赤く染まり、痛いほどに冷たくなる。
熱交換の原理で順に僕の体温が奪い去られている。
それを実感しておきながら、この12月の末だというのに僕はまだ軽い服装で通勤を繰り返していた。
単に、服を切り替える元気もなければ、余裕もなかった。
登山に行く元気は出るが、悲しいことにそれ以外は寝込んでいる。
「はぁ」
何だか、奪われる体温がまるで自分の心のような気がしてきた。
いや、もうすり減る場所がない心なんだけど。
気が付いた時には、僕の心は折れてしまって、手が付けられなかった。
一度心が折れても、もう一度折り返してやればよい。
毎回、180度折り返し続ければ、心はちゃんと前を向くようになる。
荒療治という人もいるが、絶望は続かないのだ。
でも、この対処法もやはり限界が訪れた。
当然、毎回僕の心は小さく、その許容量は劣化していく。
遂に、もうこれ以上折り返す事ができない、そんな段階に来てしまった。
心がポッキリ折れると、本当に無気力で考えなしに行動する。
もういやだ、これ以上は無理だ、歩けない。
そんな感覚すら、どうでもよくなって魂の抜けた体を無理やり動かす。
気が付いたら、何かよく分からない状態にあることも珍しくない。
薬漬けの毎日は嫌なので、前を見て歩くしかない。
昔、生きていく覚悟を決めたのだ。
故に、僕はこの冷たい空気のような世界を生きていくしかない。
誰も彼もが、自分の世界で生きていけるわけではない。
誰も彼もが、自分の好きな世界で生きれるとも限らない。
誰も彼もが、自分が向いている場所で生活できるとは思わない。
カラカラカラ……と、折れた心は容赦なく地面に削られ、時折ある凹凸で容赦なく弾き飛ばされている。
それを、何故か僕は冷静に見ながら、少し口元を歪める。
それは、僕がまだ生きている証拠で、歩いている証だから。
生きることは難しい。そこにいるだけでも、辛いのだ。
でも、生きる覚悟を決めた時点で、この状況も状態も、ある程度想定したいたことだ。
限界まで、自分なりに頑張ってみたが、時折ダメになる。
今日は偶々、そんな一日だっただけ。
心の中では、それを理解している。
ただ、僕はこの世界で生きている限り、誰もが星になることができると思っている。人には好奇心があって、好きなことがあって、時には光になることもある。
その光は、遠くから見れば星であり、近くで見ることができれば、道になる。
光り輝く道を歩いている時、僕のような人間でも、実は星のように輝いて見える。
その時、僕はいつも「本音でやりたい事」をできている時だ。
その時、僕の心は「いつだって元気」だったと思う。
ワクワクしていて、ちょっと不安で、でも溢れ出した好奇心が抑えきれなくて。
そんな日々を、僕は光り輝く一日として記録している。
大丈夫、まだまだ光る星になることはできる。
それは誰だってできるし、運が良ければ一週間くらい継続できる。
挫けた日でも、こうして折れた心に圧迫されている今でも。
大丈夫、まだ前を見て歩きはじめる事ができるから。
今はまだ、僕の心は折れている。前を向けるほど、元気ではない。
だがしかし、光はある。覚悟もまだ残っている。
大丈夫だよ、まだ生きているから。
楽しい日々が、少し先の未来で待っているかもしれない。