
特別なんてなくても、小さな幸せはそこにあるんだろう
寒い冬のある日、ふとした瞬間に食べたくなる「じゃがバター」。誰でも一度は食べたことがある、シンプルながらも心を満たしてくれるおやつの定番だ。
今日は、そんなじゃがバターを家の中で作ってみることにした。絶対に外になんか出ないぞ、という硬い意志をもって、僕はじゃがバターづくりを始めた。外は震えるほどの寒さで、こんな日は外で食べるどころか外に出たくもないんだ。
でも、こんなときにも、家の中で温かいじゃがいもをホクホクと楽しむことができる。それは、なんとも幸せな瞬間なのだろうか。想像しただけで、おなかが減ってきたぞ。
スーパーで見つけたのは「旬のじゃがいも」。小ぶりで、皮が薄くてキレイなものが並んでいて、数日前に思わず手に取ってしまった。この時期のじゃがいもの特徴は、分厚い皮と、やっぱりほくほくとした中身だろう。
冬の寒さで冷え切った体を温めるのに、じゃがバターは最適だ。冬の風物詩といっても、良いのではないだろうか?手抜きじゃがバターだけど、今回は皮をむかずにそのまま使うことに。じゃがいもの皮には栄養も含まれているし、食べやすいから行ける。無理かな?
後で考えよう。
「生ごみの問題なんて、僕は知らない」
皮を洗って、しっかりと泥を落とす。手が冷たくなるけれど、そんな冷たさが刺すように痛い。手先を真っ赤に染めて、「痛い痛い」と思いながら、丁寧に泥を落としていく。ゴム手袋をしたらいいのかもしれないけど、好みではないので使わない。ごわごわした感触が、実は嫌いだ。痛い、助けて、早く終わりたい、これだから自炊は嫌なんだ。
「自炊なんて偉いねぇ」
そう言ってくれる会社の先輩がいるけど、いや本当にそうだよね。主婦の人たちって、本当にすごいなって思う。お母さん、ありがとう。そのありがたみが、今こそわかるよ。
「よしっ!大丈夫!」
悲鳴にも似た叫び声を小さく上げて、同時にジャガイモを鍋の中に入れていく。そして、ひたひたの水を入れると、茹で始めた。蓋をして、熱を逃がさないようにしっかりと対策することも忘れない。
沸騰したお湯から立ち上る湯気が、家の中をほんのりと温かく包んでくれる。その温もりが気持ちいい。噴き出ている蒸気にそっと手を当てると、熱を感知できないくらいには冷え切っていた。
「うぅぅ、雪山にいるわけじゃないんだぞ?」
手先が冷える一番の理由は、水や雪ではない、風だ。冷えたり、濡れたりした状態もよくないが、風などで熱交換が頻繁に起こる状況が、一番マズイ。一気に体の、手先の熱を消費して失ってしまう。
「あっっつ!!」
ボーっとしていたら、指先が熱に焼かれてしまった。くぅぅ、急に反応するようになっちゃって。まぁ、困る。でも、これで指先の熱は確保できたぞ。
僕の指先も大事だけど、ジャガイモだって大事だ。ゆっくりと、確実に火が通っているのが分かる。水の対流に流されて、コロコロと転がりながら、鍋の中で茹でられて行く。
ジャガイモが茹で上がるのを待っている間に、バターを用意しようと思って冷蔵庫を開けると…。あれ、バターがない? いつも家にあったはずなのに、どうしても見つからない。急いでスーパーに行く時間もないし、というか行きたくない。あれ、バターを少し入手したはずなんだけどなぁ。どこやったんだろ?
仕方なく、いつも通りに代わりにマーガリンを使うことにした。
マーガリンの独特の香りが広がり、少し物足りなさを感じてしまう。本来であれば、「じゃがバター」と名のつくものを作るなら、やはりバターで仕上げたい。動物の油、やっぱり貴重だと思うんだ、乳製品だけど。
結局、バターの代わりでも満足できるんじゃないかと思いながら、マーガリンをたっぷりとじゃがいもにのせる準備を済ませる。その香りが少し懐かしく、でもあたたかさとともに心地よく感じられる。そういえば、我が家も基本的にはマーガリンだったような気がする。未だに、慣れないんだよなぁ、バター。
「よいしょっと」
ジャガイモが茹で上がり、湯気をあげながら器に落としていく。手で触れると、表面温度はまだ九十度近くてアツアツだ。外も中も冷たい世界とは違って、この温かさは内側までちゃんとあったかい。昔はじゃがバターなんて、出先や焼き物をした時にしか食べなかったけど、一人暮らしだと気軽に作れるからいいよなぁ。焼いてないけど。
外に出て震えることなく、ホクホクのじゃがいもを食べられる幸せ。一人暮らしって、こういう時にありがたい。食べたいときに、食べたいものを食べたいように食べられる。これを贅沢、幸せといわずして、僕は何と表現したらいいのだろうか。
アツアツのまま手に取り、そっと中を割って、その中央に切り込みを入れる。マーガリンをのせると、溶ける速度にびっくりだ。ポンと置いたマーガリンがすぐにしっとりと溶け、ジャガイモの表面を覆っていく。這うように溶けだして流れていくその様子は、じゃがいもがマーガリンを吸い込んでいくようだ。どこかとても優しく、魅力的な光景だ。見てるだけで、一気に食欲が刺激される。まだ食べたらダメなの?と、顔を出してくる胃袋を、そっと置くに詰めなおす。
「よしよし。一気に齧り付くべきか、皮をはぐか?」
さて、次に問題になるのが「皮」の扱いだ。毎回迷ってしまうのがこの部分。皮をむくべきか、それともそのまま食べるべきか…。結局、皮をむいて食べることにした。皮が薄い新じゃがでも、やっぱり口に入れると少し食感が気になる。秋のジャガイモなら、絶対に邪魔になるしな。
「どうやって食べたものか」
そこで包丁でそっと皮をむくのは、正直言ってメンドクサイ。だから、半分に切って内側からひっくり返すようにして、食べることにした。半分に切れば、ほくほくでふわっとした白い身が顔を出し、その姿にちょっとした感動さえする。映画やアニメのワンシーンみたいにきれいだ。
半分に切っては、マーガリンが溶けたところを口に運び味わう。一気に一口で行くと、絶対に口の中を火傷しそうだ。でも、ちょっとだけ勇気を出して多めに頬張ると、幸せな味が口いっぱいに広がってくれる。
「うまぁー」
ホクホクのじゃがいもと、ゆっくり溶けていくマーガリンのコクが広がり、なんとも言えない美味しさが口の中で広がる。マーガリンと少しだけ振った塩が、じゃがいもの甘さを引き立てる。何倍にも引き上げられた素材の味が、口の中に広がる瞬間がたまらない。
正直、じゃがいもだけでここまで満足感を得られるとは思っていない。こんなにもシンプルな食材なのにね。その美味しさに心が満たされ、心の中で「じゃがいもって本当にすごい!」と賞賛の嵐だ。じゃがいもの可能性は無限大だと、今さらながらに実感する。
焼いても、茹でても、炒めても、どんな方法でも違った魅力を見せてくれる。この素朴さこそが、じゃがいもの最大の魅力なのかもな。新じゃがはまた違った魅力があるし、これにはツウがいるのも納得だ。
このホクホクのじゃがいもを食べながら、ついつい次々と作っては無心に食べていく。僕はもう、人間ではない。今の僕は、機械だ。今しがた茹でたジャガイモを割いては切れ込みを入れ、そしてマーガリンを塗りたくり、噛り付く。そしてそのうまさに感動して、更に食べる。それだけのマシーンなのだ。
おやつのつもりが、あっという間に鍋の中は空っぽになっていく、また一つ、また一つと、貴重なジャガイモが姿を消していく…。食べても食べても、飽きることなく、手が止まらない。こんな簡単な料理でも、時間を忘れて夢中になってしまった。
「はふぅぅ」
気が付いたら、本当にすべてのジャガイモを食べきっていて笑った。おやつのつもりが、まさか全部食べてしまうとは。こんなことなら、先にポテサラ用のジャガイモだけ、取り分けておくべきだったか?
まぁいいか、体も心もすっかりポカポカあったまったことだし。
なんとも言えない満足感を感じていると、自分の幸せは身近にあると実感する。寒い日に、家の中で、暖かい料理を食べて満足できる。こんなシンプルな幸せが、すぐそこにあることに感謝しなければならない。じゃがバターひとつで心が温かくなるこの瞬間、何気ない日常の中に隠れた小さな喜び。きっと僕らは、こんな小さな幸せを大事にしないといけないんだろう。
次があるのなら、ちゃんとバターで食べたいな。今度はトーストで使うことなく、しっかりとジャガイモの為に取っておきたい。
いいなと思ったら応援しよう!
