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寒い日の卵とじは小宇宙なんやで!と思った日に

寒い日は、何を食べようか。この問いは、僕にとって人生における十大難問の一つと言っても過言ではない。うん、あまり大きなものではないかも?いや、でも冷静に考えてみてほしい。鍋の温かさ、ラーメンの背徳感、うどんの懐かしさ、そばの粋さ。どれも魅力的で、優劣などつけられるものではないだろう。休日は、特に予定がなければ、冷蔵庫の残り物で適当に済ませることが多い僕でも、悩むのだ。しかも、今日は今までの休日とは一味違った。何かに導かれるように、街へと繰り出してしまったのだ。
目的もなく彷徨う中で、いくつかの食材を買い込んだ。その中で、まるで強大な敵をなぎ倒し、辛うじて空いた隙間を縫って手に入れたと言っても過言ではない、貴重な戦利品がある。それは、卵だ。安売りされていたので、当たり前だった。他の商品が山積みにされている中で、卵だけが品薄になっている。まるで、最後の一個を巡って熾烈な争いが繰り広げられた戦場のようだった。なんとか手に入れた卵は、今日の買い物の中で、いや、今週の買い物の中で一番の収穫と言っても良いだろう。
そういえば、冷蔵庫には先週買った鶏肉がまだ残っていたはずだ。鶏肉と卵……。頭の中で、二つの食材が、磁石のように勢いよく引っ付いた。よし、今日は卵とじを作ろう。シンプルな料理だが、寒い日には格別だ。しかし、材料は何を入れようか。ネギがあれば最高なのだが、残念ながら持ち合わせがない。少しだけ迷う。
いや、待てよ。今日は割引品でキノコ類を買った筈だ、これが使えないだろうか。確か、舞茸とえのきだけがあったはずだ。これらを火を通して、適当に卵でとじてみたらどうだろうか。想像してみると、意外とありなような気がしてきた。舞茸の独特の香りと食感、えのきだけのつるりとした舌触り。それらが卵と合わさることで生まれる、キノコの卵とじ。美味しいに違いない。いやいや、待て、いっそのこと親子丼にしてしまうか?鶏肉もあることだし。
頭の中で、様々な料理のアイデアが渦巻く。何を作ろうか、どんな味にしようか。そんなことを考えながら歩く時間は、あっという間に過ぎていく。まるで子供のようだが、やはり食事は重要なのだと改めて認識する瞬間だ。空腹を満たすだけでなく、心も満たしてくれる。食事とは、単なる行為ではなく、人生を彩る大切な要素の一つなのだ。
さて、本当にどうしようか。家に帰ってきたのは良いものの、まだ何も決まっていないぞ。優柔不断な自分に、少し呆れてしまう。しかし、焦る必要はない。料理は、創造的な行為だ。インスピレーションを大切にしよう。ひとまず、米を炊いた。炊飯器から立ち上る湯気と甘い香りが、空腹を刺激するまで、もう秒読みだ。つまり、米に合う何かが良い。親子丼はこの間食べたばかりなので、今回は遠慮しておこう。
それに、キノコ類は今日中に食べきった方が良いだろう。一応、賞味期限は今日なわけだしね。
うん、キノコの卵とじを作ろう。そう決めた途端、頭の中の霧が晴れたように、道が開けた。冷蔵庫の中を改めて確認すると、玉ねぎがあることに気づいた。灯台下暗しとはこのことだ。玉ねぎ君、君も活用してあげよう。鶏のささみ肉は、今日は主役の座をキノコたちに譲って、少しだけ脇役に回ってもらおう。
調理開始。まずは、ささみを繊維に沿って丁寧に切り裂く。この作業は、もう慣れたようなものだ。繊維を意識しながら、丁寧に、丁寧に、時に適当に。次に、キノコ類をザックリと切ってバラバラにする。石突の部分や、根元の硬い部分は使えないので、潔く捨てる。食材を無駄にしないことは大切だが、美味しくない部分を無理に使う必要はない。貧乏でも、これは大事だったりする。玉ねぎは、目分量で薄切りにする。火の通りが良くなるように、均一な厚さに切ることを心がけたいと、僕は思っている。
フライパンに、めんつゆ、砂糖、水を入れて火にかける。分量は、いつもの適当だ。料理に厳密なレシピは必要ない。自分の舌と感覚を信じることが大切だと、きっと誰かが言っている筈だ。これまでに切りそろえた食材も、そのままフライパンに投入する。適当、適当、そんな言葉を心の中で何度も繰り返しながら、煮立つのを少しだけ待つ。この待っている時間が、また良い。料理をしている時間の中で、この時間は好きな方かもしれない。無心になって、ただひたすら待つ、それだけの時間なのに、少し不思議だ。
待っている間に、冷蔵庫から卵を取り出して準備をするのも忘れない。卵をボウルに割り入れ、軽くかき混ぜる。卵白と卵黄が混ざり合い、美しい黄色い液体になる。この卵の黄色は、希望の色だ。食欲をそそるだけでなく、この後のことを考えると少しだけ心がワクワクしてくる。
時折、フライパンの中身を確認し、煮汁が沸騰して、煮込まれていることを確認する。卵を説き終えて見れば、キノコと玉ねぎがしんなりとしてきた。良い感じだ。全体的に煮立ってきたら、火を止める。ここで、卵の出番だ。
アツアツの煮汁の中に、トロットロの卵を勢いよく投入する。この瞬間は、ある種の儀式だと僕は思っている。卵が煮汁と混ざり合い、白と黄色が織りなす模様は、まるで抽象画のようだ。数回混ぜて、卵を少しだけグチャっとさせる。完全に混ぜてしまうのではなく、少しだけ形を残すのがポイントだ。これで、キノコの卵とじの完成だ。
炊きたてのご飯の上に、熱々の卵とじを乗せる。湯気が立ち上り、食欲をそそる香りが鼻腔をくすぐる。一口食べる。熱い。でも、美味しい。キノコの旨みと、玉ねぎの甘み、そして卵のまろやかさが口の中に広がる。めんつゆと砂糖の甘辛い味が、ご飯とよく合う。
ああ、作ってよかった。シンプルな料理だが、心から満足できる。外は寒いけれど、部屋の中は温かい。お腹も心も満たされ、幸せな気分になる。
卵とじ。それは、一見すると当たり前の家庭料理で手抜きに見えるかもしれない。でも、その奥深さは小宇宙だ。卵という小さな宇宙の中に、様々な食材が共存し、一つの味を奏でている。それは、社会の縮図と一緒なのかもしれない。様々な出来事が起こり、喜びや悲しみなどの感情以外にも、仕事や友人、上下関係といった立場が混ざり合い、複雑な模様を描いている。それは、単純な世界をより複雑にし、僕らを迷宮の中に閉じ込めるのだ。卵とじも、これと一緒なのだ。何を閉じるのか、何を混ぜるのかで、一気に表情を変えて来るのだから。
きっと、卵とじを食べるたびに、様々なことを考えるんだ。過去のこと、現在のこと、未来のこと。人生とは何か、幸せとは何か。そんなことを、熱い卵とじを食べながら、ぼんやりと考える。そんな日が来るのかもしれない。
明日も、また卵を買って帰るかもしれない。そして、また違う食材と組み合わせて、新しい卵とじを作るかもしれない。この繰り返しの先に、何があるのだろうか。それは、まだわからない。でも、それで良い。今、この瞬間を大切に生きることが、何よりも大切なのだから。


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レン_歩くエッセイスト
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