「普通の〇〇」の難しさ
想像してみるとかなり難しい。
普通の高校生は、部活や学校行事に熱心に取り組んだり、恋人と放課後遊びに行ったりするらしい。
だが、実際にこの普通を実現した高校生なんて、クラスに5人どころか1人ぐらいだろう。
普通の大学生は、サークルや部活、インターンに参加したり、友達の家で遊んで大学に行くらしい。
実際には、アルバイトの記憶ばかりで大学生らしい生活をした記憶が多い人も少なくないだろう。
普通の社会人は自分のスキルや経歴の空欄が徐々に埋まっていき、働いた後は趣味に興じているらしい。
実際は仕事と趣味のどちらも満足した状態にはならないだろう。
普通の夫婦はお互いを尊重し、幸せは2乗となるらしい。実際は話し合いは無くなり、幸せはよくて+2だろう。
こうやって自分の中にある「普通の○○」というのを挙げてみると、普通ではなく、「理想的な○○」と言い換えられるとも感じる。
そう考えると、普通=理想という図式が成立するのではと思う。
私たちは普通という言葉を使うことがあるが、それがいかに難しいことを要求していたかを実感させる。
※この記事は以前のアカウントで投稿したものを転記しています。
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