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サービスを創ろうと思ったきっかけ
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訪問していただきありがとうございます。
前回の記事から、お知らせしていたサービスOutdoが完成しましたので、まずはβ版としてリリースを告知させていただきます。
詳しい内容はこちらへどうぞhttps://note.com/outdo
サービスへの思い
今回の記事では、なぜ私がこのサービスを創ろうと思ったのかについてお話ししたいと思います。
上記のスライドでも書かれていますが、インターネットによって生活が快適になった事は間違いありませんが、現実の密度というものが希薄になったと感じています。
現実の密度というのは
「今日を無駄にした」「今日何したっけ」「誰かと何かを共有したっけ」という、自分だけで完結しているはずなのに、味気無さを感じている状態です。
別の表現をすれば、「現実の密度」が薄いというのは「お腹はいっぱいなのに、味がしなかった食事」と表現します。
私は動画を何も考えず見ていて、3時間経過していた時ひどく後悔したことがあります。「もっと有意義にできたはず」と。
これと同じことが、映画やランニング、散歩でも経験したことがあります。もしこの場に他の人がいたら、「今を一緒に共有出来て楽しかったはずなのに」と。
上記に挙げた経験はどれも「一人」で出来るものです。なので友達を誘うべきか、そもそもこの趣味持ってる人がほかにいないんだよな。ということで行動に移すのに躊躇してしまうことがあります。
その結果、心に潤いを与える趣味が単なる作業となってしまうことも。
結局何が言いたいかというと、誰かと時間を共有していないと寂しいというひどく個人的な悩みによってサービスを思いつきました。
ツイッターやインスタグラムもやってはいますが、これら過去の経験を記録し、情報を共有しているのであって、今の体験と時間を共有してはいないので私には物足りなさを感じてしまいます。
誰かに評価されることはうれしいし、認められたと感じることはありますが、やはり味の薄いお菓子を小分けに与えられたような、欲しい栄養とは違うものを与えられたと感じてしまいます。
私と同様の感覚を持つ方をツイッターのつぶやきや実際に友人から見聞きしたことがあります。
そういう、一種の現実の重さを恋しく思う人たちに向けて、今回のサービスを作りました。
肌に合う合わないは、あると思いますが、ここまで読んでいただいた皆様の琴線に触れた内容がありましたら、ぜひご活用してください。
長々と失礼しました。
※この記事は以前のアカウントで投稿したものを転記しています。