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インド綿のワンピース

大学生の頃、青山の「あの通り」は憧れでした。

地下鉄の暗い階段をえっちらおっちら上ると、街路樹と小さめのビルと切り取られた空とが現れます。そこを歩いているのは、私たちからするとだいぶ大人で、全員が「ファッション関係の人」に見えました。
訳知り顔で「あそこには同じグループのブランドが集まってるからね」なんて言う同級生を、なんという知性!と尊敬の眼差しで見つめたものです。

あの通りにひしめくブランドショップの中でも、10代後半の我々にとって「コム・デ・ギャルソン」は特別で、よほどの覚悟がないとガラス張りの路面店に入ることもできませんでした。
一度も太ったことなどないであろうスリムなボディを黒づくめのお洋服に包み、鋭い髪型で接客する店員さんたちは殿上人のようで、「向こうから優しく話しかけてもらえた」ことが翌日の話題のトピックになるほど。

大学1年生時のお小遣いが1万円だった私(通学に片道2時間かかっていたのでバイトもできず)にはギャルソンのお洋服は高嶺の花すぎて、
初めて自腹で買えたのが、今も大切にしている琥珀色の香水でした。

あの日、なんでひとりで「あの通り」に向かったのか覚えていないのですが、
ある日の閉店間際、お店の前を通ると窓の近くに、たくさんの白いワンピースが掛かっているのを発見。
これまでひとりで店内に入ったことはおろか、友人と一緒でも数回しかないのに、橙色の灯りに誘われて、でも何かの舞台に立つ前のように、意を決して扉をくぐりました。

ラックには10枚程度の様々なシルエットの白いワンピースが掛かっていて、
そこには驚きの「1万円」という値段が!
急に心臓がバクバクして、私でも頑張れば買えるかも!!と、ハンガーをたぐる指先が震えました。
しかし、当時の私はもちろん手持ちの1万円はおろか、クレジットカードも持っていなかったので、この瞬間に買うことはできない。
お取置きが可能か店員さん(a.k.a殿上人)に尋ねてみようかと、猛烈な緊張の中口を開きかけた瞬間!!
「○○さ〜〜ん。ちょっとこれ見てよお」

店の奥から、その頃いじられキャラとしてよくテレビに出ていた噺家さんが呼びかけ、近くにいた店員さんを連れて行ってしまった。
わざわざ別の方に話しかける勇気もなくした私は、親にお金を借りて明日出直そうと、とぼとぼお店を後にしました。


その夜、あのずらりと並んだ素敵なワンピースの白い輝きが忘れられなくて、興奮状態の浅い眠りの中で何度も「閉店間際だったから絶対残ってる残ってる」と呪文のように願望を唱え続け、翌日親にお金を借りて、多分大学に行く前にお店に飛び込んだと思います。
もう、入り口の時点で見えていました。
昨日のラックが影も形もない。

そりゃそーだよ。
ギャルソンで1万円で、各種1点ずつしかないワンピースって。
見たらすぐ買うよ。お金あったら数枚買うよ。
まじで。。。あの噺家。。許すまじ。。。

なんかもう、燃えてたと思う。
ラックのあった場所でショックのあまりゴゴゴゴ。。。となっている私に、見かねた?店員さんが話しかけてくれました。
ほぼ涙声で「昨夜ここに並んでいたワンピースは…」と訊ねると、申し訳なさそうに
「あーー…あれは開店と同時に全部売れてしまって…」
「ですよね…」(噺家がいなくても取置きもできなかっただろうし…)
と、がっかりして帰ろうとしたその時…

「あ!試着のお客様がファンデーションつけちゃったのが1着あります!
それでよかったらクリーニング後にお売りできますよ」


多分二十歳そこそこ、つまり今から30年近く前、握りしめた1万円で買えた白いワンピースは、くすんでよぼよぼしているけど、今も着られる状態で家にあります。
様々なシルエットがあった中で、その1着は、サイドにプリーツが寄せられたブワンと広がる大好きな形で、私のために残っててくれたと天にも上る気持ちでした。
ファンデーションつけた人、まさに天使!
しかも、「お店がクリーニングしてくれた」ことが、さらに特別感を増幅させました。

それからしばらくは例の噺家を憎んでいたり、時期的に白づくめがアウトだったりと色々ありましたが、歳を重ねても素敵に着られるデザインの力に、袖を通すたび感動します。
歳をとったら素材が良くないと、なんて言うけれど(別にインド綿は悪くないんだが)、素材の前に「シルエットとデザイン」なんだなあ。

もう少ししたら、頑張って自分で黒や紺色に染めてみようかな、なんて考えています。

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