見出し画像

先輩は私の世界のすべてだった|依存をこえて

私が彼女に初めて出逢ったのは
第3回應武茉里依奨学金 の応募フォームだった。

提出されたPDF1枚から会ったことのない彼女に想いを馳せた。


思ったことは

「彼女と私の間に 多くの言葉は必要ないだろうな」

だった。


でも、彼女のことをもっと知りたいと思った。


だから、彼女がやっている「ジブン研究」に飛び込んだ。


彼女は ジブン研究のHPでこう語る

みなさんは自分の嫌なところや許せないところはありますか?


私はありました。代表的な特性は、

中学生の頃からアンガーコントロールができないこと。

イライラしたり、自分の思い通りにいかないことがあれば物に当たってしまいます。扉を強く閉めたり、本をビリビリに破いたり、パソコンを叩いて壊したことも。人間関係が修復できなくなってしまったこともありました。

ずっと、「こんな私は駄目なんだ、私の性格が悪いんだ」と思って過ごしてきました。



そして自分の怒りがうまくコントロールができないことを、私は環境や誰かのせいにし続けてきました。


そんな時、自分に大切な人ができて、初めてこんな私に本気で向き合ってくれる人に出会いました。

怒りを露わにし傷つける言葉を発する私に臆することなく、「どんなゆかもゆかだから」「できるとかできないとかどうでもいいんだよ、生きていてくれさえいれば」と言い続けてくれました。

「変わりたい」と本気で思って2年半毎日日記を書いて、色んな本を読んで、自分の苦手なこと、どういう状態だと調子が悪くなるのかを分析し続けました。


とことん自分と向き合った結果、自分のパターンが少しずつ見えてきて、怒りの振れ幅はどんどん小さくなっていき、今は爆発することも大分減りました。


その時に私は、何があっても見捨てず、本気で向き合ってくれる人の存在が人の変化にとって本当に必要なのだ、と実感しました。




そして同時にこれは私だけが持っている特別な生きづらさじゃないと思ったのです。

きっと誰かしら人には言えない、言いたくない、しんどい部分があるんじゃないか。けど、1人ではどうすることもできなくて、苦しんでる人がいるんじゃないか。

私がずっとそうだったから。「できる自分」しか愛されないと思っていたから。

だったら私から自分のことをオープンにすることで、「私だけじゃないんだ」と楽になれる人もいるんじゃないか、必要としている人がいるかわからないけど、必要とする人が1人でもいるなら届いて欲しい。

そう思って始めました。


何があっても見捨てず、本気で向き合ってくれる人


そんな人が私にもいた。


大学1年生の春に 出逢った先輩。


今まで話したことのなかった「自分の過去」を初めて 話そうと思えた人だった。


家族4人で笑った思い出がないこと、ずっと両親の喧嘩をきいて育ったこと、父親のことを「アイツ」と呼んでいたこと、万引きをしたのに 父にも母にも怒られもしなかったこと、父がリストラされたこと、両親が離婚したこと、引越しをして 帰る場所を失ったこと、家に帰っても居場所がなかったこと、いじめにあったこと、望まない形で処女を失ったこと、恋愛依存になったこと、セックスのたびに嫌悪感と罪悪感を抱いてきたこと、不安を1人でどうにかできず たくさん自分を傷つけてきたこと


「こんなこと言ったら嫌われる。軽蔑される。」

そう思って、誰にも話せずにいたことたち。


「私は 普通じゃない。みんなとは違うんだ」

そう思って ひた隠しにしてきた過去たち。


でも、なぜか先輩には話してみようと思えた。
この人は聴いてくれる という安心があった。

なんでそう思えたのかは、覚えていない。


でも、やっぱり言葉にするのは怖かった。


言葉に出して、誰かに伝えてしまった瞬間、
それは事実になってしまうから。


事実となってしまった話を受け止めるほどの勇気が私にはなかった。



でも、耐え続けることも限界で。



私は先輩に 話してしまった。


話していた時、私は震えていたと思う。
暗い部屋の中で、先輩は 静かに聴き続けてくれた。


話し終えて 怖くなった。
見ないようにしていた現実が、目の前で事実になってしまった。


怯える私を先輩は 抱きしめてくれた、気がする。


先輩は私の世界のすべてだった。


それから先輩は、私が過去に向き合うための手伝いをしてくれた。

具体的になにをしたか、もう6年も前のことで 思い出せない。



でも、先輩は半年以上に渡って 何があっても見捨てず、本気で向き合ってくれた。


はじめて私のすべてを受け入れてくれた人。

私のことを真にわかってくれる人は世界でただひとり、先輩しかいなかった。

(当時、恋人がいたけれど うまく頼れなかった。たぶん好きだったからこそ、嫌われるのが怖くて、嫌な自分を 見せられなかったのだと思う。)


先輩に、100% 依存していた。

でも、先輩 なぜか心理学をやたら勉強していて、共依存にならぬよう 私とは 適度な距離をとっていた。



「そんなに私のことを大切に思ってくれてるなら どうして付き合ってくれないの?」

何度も迫っては

「恋愛をまじえると 甘えてしまうからダメ」

と言われた気がする。



今ならわかる。


先輩は本当に私のことを大切に想ってくれていた。


当時、先輩は 20代前半。

私のことを 簡単に利用することもできた。
けれど、そんなことはしなかった。


優しさに甘えすぎて、怒られたことはあった。

「いかないで、ごめんなさい」と泣いたこともあった。


涙でぼやける視界の中で


先輩に支えられて、自分と向き合うため 少しずつ前へ進む日々。

けれど、そう簡単には いかない。

目を逸らしたい自分。向き合いたくない自分。それしかなかった。

「もう 変わらなくていい」と何度も投げ出した。


自暴自棄になり再び 自分を傷つけた。


そんな私に、先輩はすごく悲しい顔をした。涙でぼやける視界の中で思った。


私は先輩のこんな顔をみたかったんじゃないのに。


先輩は私の世界のすべてだった。


だから 先輩が好きなものを全部 好きになりたかった。

先輩が大切にしているものを、私も大切にしたいと思っていた。


気づいた。


先輩の「大切」は、私だった。

私自身こそが、先輩の「大切」だった。


大切な人を大切にすることは、自分を大切にすることなんだ


と悟った。

私は、先輩が大切だと言ってくれる私を、大切にしないといけないと思った。

先輩に二度と悲しい顔をさせないために、私が唯一できること、それは、私が私自身を大切にすることなんだと知った。


生まれてはじめて、自分のことを大切にしようと思った。


RADWINPSで一番好きな歌「me me she」に こんな歌詞がある。

僕の好きな君。その君が好きな僕。
そうやっていつしか僕は僕を大切に思えたよ
この恋に僕が名前をつけるなら それは「ありがとう」


「自立は孤立じゃない」


先輩が教えてくれた、とても大切な考え方。

自立は孤立じゃないよ。

自立というのは
今、俺1人に10頼っているところを
10人に1ずつ頼るように変えていくこと。


強くならなきゃ強くならなきゃ、って言い聞かせていたけれど
強くならなくていいんだ、と安心した記憶がある。

依存をのりこえた私は、この話を周りの人にするようになった。もう何度、口にしただろう。言葉にするたびに 私は先輩に心の中で「ありがとう」を唱えた。 


「世の中みんな嫌い、みんな死ね」 をこえて


そんな不安定な、でも 大切な半年間を経て、
私はようやく19年間の反抗期に終止符をうった。


「世の中みんな嫌い、みんな死ね」と思っていた私が

20歳の誕生日に 母に、心から「ありがとう」を伝えることができた。


母親との関係性が改善して、恋愛依存はなくなった。
(逆にそれ以降、彼氏がめっきりできなくなった)


不安な夜を自分でどうにかできるようになった。


私は先輩との時間の中で

まず話すことが 第一歩。
話せたなら もう大丈夫。
ゆっくりでも ちゃんと進んでいく。

ということを学んだ。



しんどさを抱えているのは私だけじゃない


先輩との日々をこえて

「しんどさを抱えているのは、きっと私だけじゃない」

と思うようになった。


だから、

「まず話す」ということができる場をつくりたい

と思った。


他の人が普段話すことのない自分のことを話せる場所、空間。


それをカタチにするために、旅をつくった。

何度も何度も作った。


ミクロネシアの無人島貸切、礼文島を歩く旅、北海道のあちこち、旭岳の紅葉とコテージでのキャンプ、新潟の小学校貸切、伊豆修善寺でやった「僕と手紙と、ときどき温泉」、シベリア鉄道のロシア横断...


旅を作るとき、私は「はじめましての人と旅をする」に こだわり続けた。

それは、友達や知り合いがいると、ありのままを話すことに抵抗が生まれやすいから。肩書きのない自分でいるには「はじめまして」が必要だった。


彼女と自分が重なってみえた


だから なんだと思う。

ジブン研究のHPの中で

私から自分のことをオープンにすることで、
「私だけじゃないんだ」と楽になれる人もいるんじゃないか


と語る 彼女と 自分が重なって見えた。

彼女のつくった「ジブン研究」という 居場所を 好きにならないはずがなかった。


彼女との時間


夏にはじまった ジブン研究という名の定期的なZoomの時間。

彼女は 自身が代表であるにもかかわらず、同じ目線でフラットに話をしてくれた。やっぱり好きだと思った。彼女は まったく完璧なんかじゃなくて、まだまだ途中で、うまく行かないときも ちゃんと あって、それも全部 共有してくれた。


私は ちょっとしんどいことがあった時、何か嬉しいことがあった時、zoomがなくてもグループに 報告するようになった。


ジブンと向き合うという果てしない旅を
共にしている仲間がいる、という事実は、勇気になる。



そんな仲間を集めて、安心の場所をつくり続ける彼女と、私はこれから先も、長く長く 付き合っていきたいと思う。


お互いの心の変化をゆっくり、楽しんで行けたなら私は嬉しい。


私が好きな彼女を、好きになる人がひとりでも増えたら私は嬉しい


彼女は今、「原田優香奨学金」の受給者の募集をしている。

これまで私がずっと3年間やってきたことを「一緒にやらないか?」と声をかけたら喜んで応じてくれた。

自身の収入の1%を半年間、給付する。
応募資格はなし。社会人でもOK。

12/9(水)23:59が締切です。


私が好きな彼女を、好きになる人がひとりでも増えたら私は嬉しい。

ご応募、心よりお待ちしております。


詳細はこちらから

画像1


ps. 先輩とその後


先輩とは 依存をのりこえた後も、
結局、恋愛として関わることはなかった。


先輩は 大切な人をみつけ、結婚をした。

私はこの知らせをきいたとき、心から「よかった」と思った。そんな自分に 成長も感じた。きっとあの時の私なら 絶望していたろうな。


6年たってもう、
しんどい時に 連絡をすることはなくなった。


「私 今、とっても幸せなんだ」
と思った時に報告をするようになった。


私が「幸せである」と 事あるごとに伝えることが、先輩への恩返しで、

それを世の中にも還元するのが「應武茉里依奨学金」だと思っている。



先輩に このnoteを見せたら

「ほんとなー」「えらいよな〜」という短い言葉と
「たいへんよくできました」のスタンプが返ってきた。


先輩の「えらい」が今日も嬉しい。



いいなと思ったら応援しよう!

應武茉里依 Outake Mary
\1%奨学金 サポート募集中/ https://outakemary.jp/ あなたの優しさを知らない誰かに届けませんか?