自分は無能!という信念についての考察。ー幼児教育の目的は?
私は無能です。
間違いない!と信じています。
どこかに重大な欠陥がある人間なのだと、なぜだかそこだけは強い自信を持っています。
でもじゃあなぜ無能なのか理由はと問われると、答えられません。
どんな重大な欠陥か?
とにかく重大だから重大な欠陥なのです。笑
その謎を解明できそうな新しい仮説を今日発見したので、記録も兼ねてここに書き綴りたいと思います。
長い自分語りなので、閲覧注意。
幼児教育と学童期の教育の話になります。
幼児期のはなし
私の母は、幼児教育に関して非常に力を入れていました。
それはそれはもう本当にすごかったです。
家の中で一番広い部屋が子供部屋として使われていて、部屋の中には鉄棒、ブランコ、ジャングルジム、トランポリン、滑り台までありました。
それに、いろいろな種類の絵本にレゴや積み木などのおもちゃもたくさんありました。
ぬいぐるみも、子供の身長くらいある馬2匹にでかいうさぎ、白くま、黄くま(プーさん)etc・・・
友達が遊びに来るともなれば親が張り切って、みんなでしらたま団子とか蒸しパンとかなんかを作って食べて遊べるように準備してくれました。
幼児教室にも通わせてくれました。
s田式の教室か、知育玩具がたくさんそろっていて親切な先生がいる個人経営のスクールか迷った母は、個人経営のスクールを選びました。
私は速読とかできたらかっこいいのでs田式教育に憧れた時期もありましたが、今となっては個人のスクールもよかったと思っています。
理由はいろいろあるのだけど、このスクールでは図形遊びに力を入れていました。。
言っていいのかわからないのですが、知能検査に使うような道具を教材として普通に使ったりしているようなところでした。
今でもどんなことをしていたか覚えています。
そのおかげで知能が高くなったとはまったく思わないけれど、今でも幾何学模様とか見るとときめく・・なんか刷り込まれたのかな笑
スキルとして直接的に関係はないけれど、今は形を使うクリエイティブな仕事もさせてもらっているし、この頃の活動の影響がないとは言えないなと思います。何かしらの能力が開発されたのかな?
この教育のおかげで、私はいろいろなことに興味を持ったと思ういます。
母が選んだ絵本の中から、自分で読みたい本を選んで読んでいたし、遊びたい玩具を選んで遊んでいました。
興味のないものは無視していました。無視していてもまんべんなくしなさいなどと母に諌められることはありませんでした。
部屋にあるものを使って自分からいろいろな遊びを発明したし、部屋中をめちゃくちゃにしたことも何回もありました。
大人になってら、知的好奇心が強いですねとカウンセラーの先生にFBをいただいたことがあり、この時期の過ごし方と関連していそうな気がしています。
これだけ書くとただの自慢なのですが、このアカウントにはなんでも正直に書くことにしているので、その後私がどのように転落していったかも書こうと思います。
むしろそっちがメインです。
問題の本質は、母がなんのためにこんな大掛かりな幼児教育を私に施したかというところと関係しています。
幼児教育は手段であって、目的じゃない。
母はこの幼児教育によって、何を実現したかったのだろう。
その後の私への関わりによってある程度想像することができました。
まあその前に、一旦幼児期の関わりの中にあったその片鱗について書こうと思います。
幼児期の片鱗
はじめは、反抗期について。
私は第一次反抗期と思われる頃、どうやら習慣的に部屋の壁に自分の頭をうちつけるなどしていたらしいのです。
その行動については、のちに「あんたはあの頃から少しおかしかった、難しい子だった」と母に打ち明けられたので事実。
頭を打ちつけていた記憶は少しだけあるのだけれど、どれくらいの期間そんなことを習慣にしていたかについては記憶がありません。
母から「また出た。あかんダメ子ちゃん。」と言われていたので、よくあることだったとは思うのですが。
次に、母の手を振り払ってたらしいこと。
これは私自身に記憶がないのだけど、大人になってから母に「あんたは小さい頃お母さんの手をいつも振り払っていた。お母さん悲しかった。」と言われたことがありました。
たしかに私はおかあさんだーいすき!というタイプではなかったような気がします。
母の手を振り払っていた・・・ふむ
まあ幼児期のことはこんなかんじです。
学童期のはなし
それではいよいよ学童期。
転落の始まりについて書いていこうと思います。
低学年の頃。
私は図書室にある「わかったさん」「こまったさん」シリーズ本が大好きで、よく見ていました。
ですが、母に「こまったさんはあかん。わかったさんにしなさい。」と言われてからは、こまったさんを読む時にいやな気持ちになるようになってしまいました。
「まほう」も非現実的なのでだめ。
くれよんしんちゃんは品がないので禁止。
その他乱暴な言葉や戦闘シーンが含まれるアニメなどは全て禁止。
どんどん禁止事項が増えていく・・
ちゃんと言語化してなかったけど、母が私に与えていた本よりも図書館に置いてある本の方が魅力的に思えました。
友達の家にあったスーファミでセーラームーンの格闘ゲームをしようと誘われた時は、するかどうかひどく葛藤しました。
でもすごい面白かったです。(したんかい)
当時はやっていた「たまごっち」もだいぶしぶられました。面白いのに。
親戚からいただいて、母は返しますと言っていたのですが、親戚が返されることをしぶったため受け取ることができたのです。
中学年の頃。
テレビでこわい番組を見ていたら急に消されます。
食事中は「テレビのスイッチを消すと会話のスイッチが入る」とかなんとかいう理屈で見てる最中だろうが関係なく突然テレビをオフ。
なんだかなあ。
ある日母に「○○ちゃんみたいにあんたもダンス習う?」と尋ねられました。この誘いは絶対に断らないといけない気がしました。
私がそれまで見てきた母の価値観で、ダンスをよしとするわけがないからです。
母から言ってきたことでも母の機嫌が悪くなったらどうせ面倒なことになる・・そう思いました。
だから「きょうみない。いらん。」と嘘をついて断りました。
ナイス判断自分。結局その後ダンスは大人になってから習いました。
それなりに上手くなりました。笑
高学年の頃。
ここからいよいよ本格的に母との戦いが始まります。
「あんたは〇〇ちゃんから悪い影響を受けてる。あんまり仲良くしたらあかん」など友達関係をコントロール。
ハリーポッターは非現実的なので禁止。面白いのに。
テレビドラマは悪いシーンが含まれるかもしれないので禁止。(ばれないようにこっそり見た)
お笑い番組はしょうもないので禁止。
「しょうもないねえ。どこが面白いの?これ。こんなん面白いと思うなんて、あんたはあかんね。」
最も母が激昂したのは、私が図書館で「ハッピーバースデイ」という母親から心理的虐待を受けた子が声を出せなくなってしまう本を借りて読んでいたこと。
しかも私はこの本を非常に気に入って、貸出延長までして読んでいたものだから母にこっぴどく怒られてしまいました。
私はこの主人公の子と同じように感じていると話したことがあります。
「この子とあんたが同じやって言うの?!自分が何言ってるかわかってるの?!これ以上お母さんを悲しませやんといて!難しい子やね。」
私は本格的に母に対して不信感を持ち始めてしまいました。
母からしてみればこの頃は私生活でもいろいろ大変だったので、そこに私から心理的虐待の可能性をほのめかされて、災難だったろうなと今となっては思います。
また、直接的な否定も始まりました。
「変な子やね。なんで○○ちゃんみたいになられへんの。はあ。」
とまあ悪い出来事だけ切り取ればこんなかんじで散々でした。
幼児期と学童期の教育が違いすぎる。
あれだけ幼児期の私にさまざまな刺激にふれさせ、いろいろなことを体験させた母は、私が学童期に入ってからというもの、心理的に圧をかけて私の自我をコントロールしていきました。
なぜこんなことになったのか・・
そもそも母が私に壮大な幼児教育を行った目的は、母が良いと思う事に対して私が興味を持つように仕向けるためだったのではないかと思います。
母が良いと思うものを選び与えて私が喜んでいるうちはよかったのですが、その後私が母とは別の意思を持つに従って、母はどんどんそんな私のことを許せなくなっていったのかもしれません。
母の予想と私が実際に興味を持つことが違いすぎたのだと思います。
そんな時に母の口からつい出てしまった言葉が「変わってる」「おかしな子やね」「なんでそんな子になってしまったん」「なんで○○ちゃんみたいになられへんの」「なんでこれを選ばれへんの」だったのかもしれません。
(前の記事でも書いていますが、母にはADHDとASDの特徴が見られます)
母が私に行った幼児教育は、子供の自我の形成を促すものでした。
母としてはそれがねらいではなかったものの、自我の確立の面で効果を発揮するやり方でした。
しかし、母はその後一転して学童期の私の自己同一性獲得への芽を潰しまくっていきました。
結果、私は自我の形成をこじらせていきました。
母に入り込まれて、自分の感情はいまだにすぐには分からないことが多いですし、どこからどこまでが自分の意思かよくわからなくなっていきました。
ただ、今回のこの長い文章で私が描きたかったのは、母のせいでかわいそうな私になった話じゃないんです。
私は、母の気持ちをなんにもわかっていなかった
今回改めて回想して考察したことで、母が私に「おかしな子」「変な子」と言い続けていたのは、母の予想と実際の私が違ったからなのだと気づくことができました。
これまで、母から認められない自分はどこかに重大な欠陥がある無能な人間なのだと思い込んでいました。私はポンコツ・・無能・・・とにかくなんかどっかダメ。
私は今のところ母の予想をだいぶ裏切っているのだと思います。
母のねらい通りの娘になっていないんだと思います。
そのせいでイラついた母からかけられた言葉によって、私は呪いにかけられていたのかもしれません。
母としては、幼児教育に時間的コストや大金を注ぎ込んでねらいどおりの成果が得られなかったものだから、ため息をつき小言を言いたくなったのでしょう。
いいとか悪いとかはさておいて、そのように感じる母の気持ちは今ならわからなくもありません。
また、母の「あんたは難しい、おかしい子」という言葉の真意に、子供の時期の私が気づくことは難しかっと思います。
これが今回記憶を遡って発見した新たな自分についての仮説です。
母がなぜ私を執拗に否定してくるのか、私はその理由をちっともわかっていなかった(間違った解釈をしていた)ので、大発見!
私が自分を無能だと考える根拠は、母が私にかけた「おかしい子」という言葉だ。
だけど、その言葉を言った母の意図と私の解釈がずれていたんだなあ。
そんな話でした。
サンプル数1のメッチャ個人的な話ですけれど、誰かの役に立てばいいなと思います。
長文にも関わらず最後までお読みいただき、ありがとうございます。