ヨルシカ「晴る」雑考①音韻の指摘
はじめに
一月五日、ヨルシカの待望の新曲「晴る」が公開された。配信前、何度アニメのPVを再生したことか。一聴にしてその気合の入り方が伺える曲であり、おのずと期待は高まっていた。公開。静謐なギターの筆致が私達の期待を切り裂くと、疾走感のあるサウンドが瞬く間に突き抜けていった。何より最後のアカペラには誰もが心を打ち抜かれたであろう。
前置きはさておき、初投稿につき軽く筆者の経歴について話そう。n-buna時代に出会い、ヨルシカになり本格的に傾倒した。元より文学に誘われつつあった私の手を引き込んだもののうちに紛れもなくヨルシカがいる。現在は日本文学を専攻、興味は近代詩、俳句、自由律俳句にある。
なぜ長い間受容するのみであった私が筆を執ったのか、それは「晴る」の高い文学性にある。詩学的に見て相当完成度の高い曲であり、いつもの通り部屋でひとり涙を流して聴くよりかは、共有してより理解を深める必要があると考え、筆を執るに至った。そしてもうひとつ、私は一学生であるので思い至らない点や誤った解釈をする可能性も大いにある。そこを皆様に補って頂き、さらに色々な角度からの意見を接種したい、あまつさえ界隈の発展につながれば万々歳である。
本記事の扱い
本記事は「晴る」の歌詞について文学的分析を加えることを目的としている。ただし完全な読解を目指すものではなく、読解をする上での事前準備程度に考えていただきたい。
また、本記事で分析する上で、音韻のファクターを導入する。のちに構造と表現についての別記事を書くかもしれない。基本的に文学をかじったことがない方向けに易しい説明を心がけるが、前提の説明で長くなる部分は改めて別記事で紹介することとする。
音韻分析の必要性
詩において、音韻は非常に重要である。左のような駄文を付け加えなくても聡明な読者なら理解していただけるだろうが、音韻は詩の第一印象であり、最も気を配らなければならない事項である。
ここまで読んでくれた方に萩原朔太郎を知らない方はいないだろう。日本近代詩の父として名高い朔太郎であるが、彼の詩に潜む音感は神の領域に等しい。
「てふてふ」という文字列を見ると、現代人の我々は嬉々として「cho-cho-」と読みたがる。しかし、朔太郎は「tefutefu」と読めという注を残した。その理由は口に出してみれば明らかである。「cho-cho-」に比して、「tefutefu」は蝶が空気を撫でるように飛ぶ様を音に落とし込んで写し取っているからである。「て」と沈み、「ふ」と上がる。発音の際のイメージは、「tefutefu」のほうが優雅で豊かなリズムを産んでいるのである。
このように朔太郎は音にとにかくこだわり、単語一つにつけても読みの注文を残した。ここには、発音の際のイメージ(今後これを音象徴という)が意識されているのである。朔太郎の詩にはこのような音象徴のイメージが豊かなものが多くあり、全集は一読の価値がある。紙幅の都合で書ききれなかった音象徴の詳細はまた別の機会に書くとする。(語りきれないのことのもどかしさよ!)
サビ前半にひそむ発音の工夫
さて、話は現代に戻る。「晴る」においてもこの音象徴が多分に意識されているのだ。サビを引用する。
まずは母音に注目したい。a音とe音の使用頻度の高さが伺えるだろう。両者の共通点として口を大きく開けて発音する母音であるということが挙げられる。特にe音は舌を前に置いて発音するため、はっきりと通りやすいのである。さらに末尾はe音で整えられ(「せい」は「せえ」と伸ばす)、のびのびと発音される。
このa音とe音は比較的発音しやすい音である。人が驚いた時、ふつう「えぇっ!?」とか「わあ!」などと言うだろう。あまり「いぃ!」などと驚く人はいないのは前述の通り、発音のしやすさにある。
では、この詩においてはどのように機能するのか。間違いなく「晴れ」の描写であろう。a音とe音をリフレインさせることにより、はっきりとした晴れやかな、そして遠くまで飛ぶような音の印象を受けるだろう。
次に子音に目を向けよう。s音とh音の使用頻度が高く、全体的に清音で構成されている。両者は発音方法が非常に似ていて、無声と摩擦音から成っている。つまり、「が」や「ざ」などと違い、しっかりと子音を発音せずに、母音に風味を加えるような感覚だ。
音のイメージとしては、両者晴れやかであり爽やかである。それこそ、「さらり」「はらり」はヨルシカの別の曲でも聞き覚えがあることだろう(そう考えると童謡「ささのはさらさら」の何たる美しさ!)
この詩においてもその爽やかな音のイメージから「晴れ」を導き出している。そして前述の通り無声音であるため母音に干渉しすぎず、母音の持つ効果を最大限に引き出しているといえる。
また、「が」や「ざ」といった濁音の使用を最低限に抑え、ここでも「晴れ」のイメージに貢献している。
このように、サビの前半ではa音とe音、s音とh音により晴れやかなイメージが施されているということがわかるのだ。
サビ後半にひそむ発音の工夫
ひとまずは前半からの流れるような移行を指摘したい。
前半は「貴方を飾る晴る」とそれまでのルールに外れてu音で終わった。u音は動詞の終止形に使われるように収束感がある音で、一区切り付く音としては申し分ない。しかしa音とe音を強調するなかで、舌を後ろに寄せたu音は浮いてしまう。それをカバーしたのが、後半の始め「胸を」という切り出しである。「る」から「む」と母音を連続させることで、韻律のイメージを引き継いでいる。
ひとひらの言葉にも類稀なるセンスが光る。
さて、後半の母音の特徴を見ていこう。e音による調和は保たれながら、前半と変わってu音とo音が加わっていく。u音とo音は口を小さく開き、舌を後ろに寄せた深いところから発音するため、深みが増すのである。
詩に、「胸を打つ」(別記事で詳しく述べるが、文脈的におそらく古語的な用法で、嘆き悲しむこと)といった内部へのフォーカスがあることからも深みのあるu音、o音は最適である。さらに、「遠く」への深みを出すにはo音が必須である。この変化を踏まえると、先述の前半から後半へとつなぐu音の存在も本当に大きく、愛おしく思えてくるだろう。
このように、詩の内容に沿った深みのあるu音、o音が採用されたのである。
ちなみに二番のサビでは、「泣きに泣け、空よ泣け」とn音の存在が大きい。効果は言うまでもなく、その湿っぽいイメージを出すためだろう。
まとめ
このように、「晴る」では音象徴の考えに基づき、詩的に音が選択されているのである。この音の選択は「晴る」のみでなく他の曲にも言える。(「都落ち」や「春泥棒」などはこの記事で述べたことがそのまま生きるのでは?)作詞者n-bunaの詩への深い理解と愛、そして磨かれた類稀なるセンスに敬服するのみである。改めて、私はこの詩の音韻律を高く評価する。
おわりに
思いの外長くなってしまった。ここまで読んでくれた貴方とはうまい酒でも飲み交わしたいですね。あとはCメロが七五調になっていていい感じだとか言いたかったけど、流石に長いので割愛。
続きは追々。
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