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上井一輝の中学校〜高校

中学校入学

半年間サッカーができない状態は毎日の様にボールを蹴っていた私にとってはとても苦痛でした。

復帰してからも筋肉系のトラブルが多く、思い通りに中々蹴ることが出来ませんでした。細かいところで感覚のズレがあり、以前の様な体の使い方は出来なかったです。

結果、不貞腐れたのはいうまでもありません。その上、とても傲慢でした。(笑)行ってももう受かるワケないと、市のトレセンの試験も受けに行かず、顧問の先生もあまり来ない部活で漠然とボールを蹴る日々をおくります。

それでも仲間には恵まれました。
沢山喧嘩もして、沢山正面衝突もしましたが、サッカーや学校生活、日常生活を通して多くのことを学ぶことが出来た3年間でした。

高校入学

高校で逆襲しようと思っていた私ですが、ここでサッカー部に入ることを辞めてしまいました。

メンタル的な部分と身体的な部分、家庭環境が合わさって、大好きだったサッカーを辞めてしまいます。

これは後悔してもしきれない部分です。
ただ、これがあったからこそ、この後に行うチャレンジが出来たとも言えるので、まさに怪我の功名です。ですが、経験談としては、高校での部活は必ずやりきって、青春を謳歌した方が間違いなく今後に活きます。厳しければ厳しいほどいいと思います。恥もたくさんかいたほうがいいです。

サッカー部に入らなかった私は、科学部に入部し、アイスクリームを作っていました。他に何をやったか覚えていません。(笑)テコンドーや空手も少しやりに行った気がします。あとは、バイトの毎日でした。

授業はしっかり聞いて、ほどほどにやっていましたので、テストも成績もまあまあでした。偏差値が平均程度の高校だったこともありますが。

ただ、一度だけ物理で0点を取ったことがあります(笑)物理のテストは折りたたんで返却されていたのですが、開いたら真ん中に大きく0のみ。さすがに思考停止しました(笑)何が起こったかわからないまま、その授業が終わり、先生に呼ばれて、事情説明。それまでテストの結果で上位にいたことが幸いして、次のテストで3番以内に入れたらいいよみたいなことを言われて、見事に挽回しました。
物理のテストを受ける時は、公式は覚えていった方が良いことをこの出来事で学びました。笑
※この時以外はしっかり覚えて臨んでいましたので悪しからず(笑)

高校2年くらいからバイトの先輩と遊びでフットサルをやり始め、同じ高校のサッカー部の人たちや違う高校のサッカー部の人たちとも蹴る様になりました。同年代がサッカー部を引退し、社会人のチームを作るとそこに入れてもらい、またサッカーもやる様になりました。

なぜかずっと周囲の人や友人には本当に恵まれ続けています。サッカー部に入らなかった割には色んな高校の人たちと接点がありました。

サッカー部に入らなかった高校生活で道を外れずになんとかいれたのは、同じ高校に幼稚園からずっと一緒だった友人が2人いたこともとても大きい要因に挙げられます。
当時は、ピンポンも押さずにズカズカと私の実家に入ってきた2人です(笑)
また小学生の時から身体能力がずば抜けていた2人もサッカーを辞めてしまった私にたまに会いにきてくれていました。なんで辞めんだよとか逃げんなよとか沢山誹謗中傷された記憶もありますが(笑)

今もそうですが、これが私の1番の自慢できる部分であり、誇りです。
この時から、むしろ、生まれた時から友人や関わってくださる皆様が人間的に素晴らしく、凄い人たちばかりなんです。
非常に運が良いと自分でも思います。

長くなってしまったので、小学校の文集で普通に暮らすと書いた理由はまた後ほどとさせていただき、次回は大学生活について綴ります。まだまだ盛り込みたいエピソードが各年代で沢山あるので、また合間合間に入れていこうと思います。

あ、私、大学は指定校推薦で入学させていただいたんです(笑)
高校のテストは、大体90点以上でした。(笑)
自慢ではありません。(笑)
決して、自慢ではありません。(笑)

冗談はさておき、期待いっぱいの大学生活で大きな転機が私に訪れることになります。

まさか、こんな事になるとは想像できませんでした。




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