聴覚障害者についてpart1
障害者とは
日常生活や社会生活において、相当な制限を受ける状態にある人のこと。
と、どっかに書いてあった気がします。
ここからは、後天的に聴覚障害者になった私の完全な偏見です。聴覚障害者に焦点を絞って思いのままに書いていきます。
耳で音を聞き難いという特徴を持ったことで、大衆的な世の中には迎合することが出来ない、または、出来難い状態の人のことを指す固有名詞が聴覚障害者にあたります。
聴覚障害者は、コミュニケーションが上手く取れないことで、自分から壁を作ります。
聴覚障害者は、なにかと都合が悪くなったら、障害者ぶります。障害者ということを棚に上げて、直面する事象から逃げます。
私、上井一輝、大いに該当します。
いや、該当するようになったという方が適切かもしれません。
自分の状態に屈して、聴覚障害者という意味そのものになってしまうこともありますが、私たちは固有名詞を打破すべく、自分と闘い、打ち勝つべきだと思っています。
ここでいう聴覚障害者は間違いなく、耳に制限を受ける特徴を持っていますが、果たしてそれは、打開できないものなのでしょうか?いや、打開できると、私は思います。
ただし、並大抵ではない力が必要になります。
当事者にとっては、形容し難い辛い経験もするでしょう。それでも続けなくてはなりません。そうでなくては、未来永劫、聴覚障害者という言葉につきまとわれますし、その枠からも逸脱できません。自分の一生だけではなくその次の世代も同じ苦しいままの環境下で過ごすことになります。
加えて、俗に言う健聴者もケースは異なりますが少なからずその経験をしているからです。
苦しいのは自分達だけではありません。
私含め聴覚障害者はすごく主観的な人が多いと感じます。音からくる情報がないことによるのもあるかもしれませんが、まずは、それを認め、受け入れなくてはなりません。
助けてもらえない。わかってもらえない。言ったことと違うことをされた。聞き返したら不機嫌な顔をされた。
こんな言葉が口から出てくるのは、私からすればありえないです。
え?私が前言っていた?
それは今の私ではありません。(笑)
私はすでにパワーアップしています。(笑)
こういった考えに至ってしまうのは、当人の考える量、行動力が足りていないだけです。最初の内はそんなもん起きるに決まってます。大体の人は両耳から音を聞くことが出来るんです。
私達のことはわかりっこありません。
(察してくださる人も少なからずいますが、悪しからず。。。)
自分を知ってもらうために、何度も何度も繰り返すんです。
失敗から学びを得てまた何度も何度も繰り返すんです。
自分に起こっている問題ととことん向き合い、自分で解決するんです。
誰かが助けてくれる、何かをやってくれる。そんなのおかど違いです。福祉制度機能付の人なんかいるわけありません。
制限がある状況に直面したら、自分の状態を説明して、そのように対応していただき、現状を打開していく。それを続ける以外にありません。
無理ということは絶対にあり得ません。
自分の行動量が足りていないないんです。
それくらいの気概を持ってやらなければ、ずっと、そこのままです。
って言いながらも私も理想とは程遠いところにいるかもしれませんが、常々念頭において、日々少しでも人間的に成長できるようにアンテナを張っています。
近い将来、障害者と呼ばれる人が進化し、障害者という言葉を使用しなくても良い社会になることを望んで止みません。
そこに到達できるよう、すごく微力ですが、私自身行動していきたいと強く思っています。
と、述べてきましたが、私自身、行き詰まった時は、必ず人に助けていただいてきました。
独力でどうにかはできませんでした。
最近ですと、膝の怪我でドン底を感じてもう無理だと思いましたが、ここでも多くの人が助けてくれました。行く先々の人たちがあたたかい心を配ってくれました。
皆様の支えがあるからこそ、今、私は前を向いて進むことが出来ています。
皆様に助けていただきながら、何度も何度も立ち上がり、挑戦します。
最後まで読んだいただき、ありがとうございます!