今日とは違う明日が来る
ドラマデビューしました。
NHK Eテレの人気番組「ふるカフェ系 ハルさんの休日~至福の古民家カフェ巡り~」で、私たちの事務所のお隣さん「TSUKINOWA/ampersand」さんが取り上げられ、私も地元民の役として出演させていただきました。
これを機に会社経営を引退し、今後は俳優業に専念していきます。
これまでありがとうございました。
本当に役者を目指していた時期がありました
冗談はさておき、実は本当に役者を志していた時期が20代の頃に一瞬だけありました。
80年代後半から90年代前半にかけて、若者に支持される劇団が人気を博した小劇場ブームというものがありました。
野田秀樹の夢の遊眠社をはじめ、第三舞台、東京サンシャインボーイズ、劇団☆新感線などなど、バブル景気に併せて若い劇団が次々と旗揚げして、何千人、何万人もの観客を動員する大変な人気ぶりでした。
もちろんそれは大都市に限られた話で、地方都市の高校生には縁遠い世界の出来事ではありましたが、ブームであるがゆえに人気の劇場公演は地上波やBSでも放送され、テレビを通じてブームの熱量を感じていました。
当時最も影響を受けた芝居のひとつ、惑星ピスタチオの「破壊ランナー」。彼らの発明であるパワーマイムとカメラワーク演出は、今見ても圧巻でテンションがあがります。
ブームは若者を翻弄します。
大学時代はどちらかというとバンドに傾倒していたのですが、演劇という選択肢も魅力があり、就職活動をしつつも劇団のワークショップに参加したり、イベンターの面接を受けたりと、どちらに転んでも良いような姿勢で進路を決めようとしていました。
そんな中途半端な考えは見透かされるもので、面接はなかなか上手くいかず、演劇に振り切る本気度も足りず、結果的に音楽関係の会社に内定をもらい就職し、そこで役者の夢は途絶えました。
時代の空気と世代の価値観
人生経験が少なくまだ何者でもない若者は、とかく時代の空気に影響を受けて、進路を決めてしまいがちではないでしょうか。
この時代の空気というのが曲者で、意外と短いサイクルでころころと様変わりします。バンドブームや小劇場ブームもその一例です。
学生時代に小劇場に立つ劇団に憧れ、役者の道を選択して下積みを始めた頃には、世間は既に次のブームに夢中になっていて、劇団で食える時代は終わっていた…得てしてそんなものです。
そもそも「〇〇で食える」という価値観自体が、今の時代にマッチしていないのかも知れません。私が20代の頃は、やりたいことと稼ぐことを一致させたいという願望があり、なおかつそれ一本で食べていくことが良しとされていました。
あくまでそれは、いつまでもずっと今日と同じ毎日が続くと思えていたからの話。昔は今よりも変化がゆっくりで情報も少なかったため、なんとなくそのように思い込むことができていたのだと思います。
今の時代は変化が激しいうえに情報過多で、目まぐるしく状況が変わったり、ネガティブな情報ばかりが飛び込んできたりといったことが起こりがちです。
そうなると、「好きなことで、生きていく」と「どうせうまくいかない」という相反する思考が同居して、そこで留まってしまう人も少なくないのではないでしょうか。
驕れるもの久しからず、これ世のことわり
前回の投稿で紹介した「RASEN in Okinawa」には、1986年~1997年生まれのラッパーが登場しますが、こちらも世代ごとにリリックの内容が微妙に異なるのが興味深いです。
メジャーシーンに近いところで活動しているAwichとCHICO CARLITOは、王道のラッパーらしく強さや成功を誇示するフレーズが目立ちます。
対して、沖縄在住の唾奇のリリックでは、不満や現実逃避といったネガティブとも取れる言葉が多用されます。「難儀は優先するべからず」なんかは、成功を誇示する世界線では生まれないフレーズでしょう。
最年少のOZworldに至っては、久高万寿主や沖縄の方言を巧みに操りつつ、己を誇示も卑下もすることなく、とにかく「今を楽しもう」という刹那主義的な内容のように受け取れます。
よくよく考えてみると、「好きなことで、生きていく」と「どうせうまくいかない」が同居した状態とは、つまりは諸行無常。むしろ時代を越えた普遍的な考え方のような気がしてきました。
成功してもしなくても、成功がずっと続かなかったとしても、やりたいことをやって、今を楽しんだもん勝ち…で良いのはないでしょうか。
熱量があるうちはやり続ければいい
40数年生きてみて思うのは、熱はやがて冷めるということです。そして、冷めてもなおくすぶり続ける火種の中に、本当の好きや得意が隠れています。
小劇場ブームを牽引した劇団は、食えるようになる前に始めていたからこそ、ブームに乗ることができたのです。本来、熱量と生計を立てることは一致させなくて良いものなのです。
自分が夢中になれるもので、生計を立てなければならないという決まりはありません。誰も「好きなことで、生きていく」を無理強いすることはないので、好きなことで飯を食うことに固執する必要はないのです。
成功するかしないかは、やってみなければ分かりません。熱量が続くうちはやればいいし、たとえ続かなかったとしても気に病む必要はありません。
一番勿体ないのは「どうせうまくいかない」から何にもやらないことです。
行動した人にだけ、今日とは違う明日が来るのです。
だから、やれ。
では。