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女性はマーケットか?

近年、女性活躍推進の研修、イベント、ネットワークなどが増えている。女性の声に耳を傾け、女性が欲しがっているサービスを提供することが社会的に正しいことだろうか。

というのが、最近わたしがうまく説明できていないことです。
女性の貧困問題や男女の賃金格差などに代表される社会問題を考える場合、その解決策は必ずしも女性本人の二ーズではない。

社会課題を考えるということは、現状の問題や将来の課題に対して構造、法律、世間、本人の内面、周囲の支援者などがどのように変化すればよいかを考えることである。女性本人がいま欲しているものを提供するとは限らない。この点を誤解している、いや理解したうえで弄んでいるようなサービスが存在していて、それを見るたびに気持ち悪さを感じている。問題に直面する女性がビジネスマーケットとして消費されるからである。

緊急事態であれば、本人の欲するものを提供しなければいけないし、本人がその必要性を認識していない場合は説得してでも提供するであろう。自治体などが中心となって解決していくことが望ましい。現実には手が届かないことが多いので、NPOなどがカバーしているのが実態であろう。短期的な利益を度外視して提供することが求められる。しかし中長期的な課題解決に向かうのであれば、当事者に何が欲しいかを聞くのではなく、俯瞰的かつ長期的に判断することが必要である。

いくつかのNPOに関わっていて感じるのは、NPOにもマーケティング視点を取り入れることが重要だということ。だがそれは、購買力のある大きな市場に対して、女性を商材として差し出すことではない。あってほしくない事だが実在する。

例えば、女性役員をデータベースに登録して、社外取締役として紹介するサービスがある。あのような事業は一歩間違えれば女性を商品化する事業となりうる。男女平等社会を実現するためには女性が重要な意思決定層に就く必要があり、そのために人材を紹介する事業を始めるわけだが、しばらくすると女性役員を欲しがっている企業マーケットのニーズに応えることが先行し、どうすれば売れる女性役員候補者を集められるかを考えるようになるわけだ。あるいは、社外取締役になりたい女性を集めるために、お土産のようなものを用意してイベントを開催することもある。最初の目的は社会課題の解決であったはずが、過剰なマーケティング活動によって眼前の顧客ニーズだけで動いてしまうのである。

女性をマーケットとして見るケースも実在する。女性の能力開発を手厚くスピーディに展開することで、意思決定層に就ける女性を増やしていこうという目的がある。それ自体は社会課題の解決を目的としているわけだが、どんな能力を開発すればよいか、どのような人材像を目指すのかが肝になる。研修を受けるのは女性だから、受講本人が受講したいと思う内容や、受講させたい企業の人事担当者が要求する内容を作っていくことになると話が少しずつ変わってくる。受講してほしい人たちの声を聞いて研修に反映することは企画で大事な部分であるが、そこに頼りすぎると近視眼的で直接的なものだけに偏ってしまう。

わたしがふらの女性サミットを立ち上げるとき、ぼんやりと考えていたことがやっと少し文字にして残せるようになってきた。そのひとつが、女性は仲間であること。言い換えると女性をマーケットとして見ないことだし、女性を提供サービスとして見ないことでもある。わたし自身が、複雑な現代社会を泳ぎぬこうとしている女性である。当事者である自分自身が、同様の当事者とともにつくるのがふらの女性サミットである。お互いを消費しない場。そんな場を作ろうとしている。

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コジミ
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