大事を思ひたたむ人は、去り難く、 心にかからむことの本意(ほい)を遂げずして、 さながら捨つべきなり。 「しばしこのこと果てて。」 「同じくはかのこと沙汰しおきて。」 「しかしかのこと、人のあざけりやあらむ、行末難なくしたためまうけて。」 「年ごろもあればこそあれ、その事待たむ、ほどあらじ。 もの騒がしからぬやうに。」 など思はむには、え去らぬことのみいとど重なりて、 事の尽くる限りもなく、思ひ立つ日もあるべからず。 おほやう、人を見るに、少し心ある際(きは)は、 みなこのあらましにてぞ一期(いちご)は過ぐめる。 近き火などに逃ぐる人は、「しばし。」とや言ふ。 身を助けむとすれば、恥をも顧みず、 財(たから)をも捨てて逃れ去るぞかし。 命は人を待つものかは。 無常の来たることは、水火の攻むるよりも速やかに、 逃れ難きものを、そのとき、 老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情け、 捨て難しとて捨てざらむや。