先輩の教えに従って失くしたもの
毎日ひとと話すたびに、自分が変わり者であると気づく。それは昨日今日始まったことではなく、ずいぶん前から気づいていたことだった。
20年前、そんなわたしの振る舞いを矯正しようとする先輩がいた。
電話での話し方、丁寧なメールの書き方、意見が違っていたときの折れ方、などなど、わたしが大切にしていなかったことをたくさん教えてもらった。
決してわたしの電話が乱暴だったとは思わないが、短く直球で話していた。先輩はそれを婉曲表現に変えてくれた。
決して不躾なメールを書いていたとは思わないが、本題に入る前のメールの1/3を占める挨拶文を教えてくれた。
決して上司や同僚と戦っていたわけではないが、自分の提案を取り下げて上司の意向を酌む習慣をくれた。
あの頃、先輩の教えは、耳が痛いものばかりだった。どれも苦手なものであったし、それゆえ優先順位を落としてきたものだった。しかし、その先輩が管理職候補であることを上司から聞いていたので、このひとの指摘を聞いて成長しなければならない、と強く感じていた。
先輩はわたしの全てのメール一つひとつに目を通し、添削してくれた。電話を横で聞きながら、そっとメモに次のセリフを書いてくれた。会議中に、ここは折れろというサインを送ってくれた。
おかげで、電話の前段で空気をつくる会話もできるようになったし、丁寧すぎるメールも書けるようになった。強く推したい意見も引っ込められるようになった。どれもわたしが持っていなかった道具であり、ないよりある方がよいと思った。
しかし、それらと引き換えに失くしたものがあった。スピード感、実行力、突破力だった。周囲の顔色を気にせず、自分の信じるものを発信することに躊躇するようになった。
20年たったいま、わたしは自分の不得意な領域を理解している。ひとと違って変わり者であってもいいと、本気で思えるようになった。わたしはひとりでは完結できない。苦手なことを克服しようと躍起になると、得意なことの出番が減るし、頑張ってみてもそれが得意なひとのようには軽々とできない。わたしは人生の後半にいる。自分自身を受け入れて、これもまた良しと思いたい。
わたしは自分の得意なことを実行する。誰かを助けたい、支援したいという気持ちとはまた違う。ただ、できることを実行するだけ。実行できることを増やすための努力はしている。
というわけで、苦手な仕事をさぼってボクシングの練習をしている自分を肯定してみるのであった。
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