シェアする目的
土曜の朝9時から30分間、YouTubeで生配信をしている。
今朝は6回目だった。
2年前は1時間の対面形式で8回実施した。
1年間のブランクを経て、いまどきのオンラインで再開。
タイトルは、こじみシェア。
わたしの名前にシェアをつけてるだけ。
その通り、こじみのことをシェアしている。経験がメイン。
目的は何か。
この質問をする人は、常に目的意識を持っていて素晴らしい仕事人だ。
実のところ、シェアすることが目的であって、さらなる目的はない。
けど、そういう人は答えに満足できず、そんなことはないでしょう、何かきっかけとかあるでしょう、と食い下がる。
申し訳ない。。。きっかけもない。シェアしようと決めたのがきっかけだから、それ以上に説明しようがない。
行動の目的をいつまでも聞かれると、2つの気持ちが入り混じる。
関心を持ってもらえてることへの感謝と
同時にわかり合えないかもしれない不安。
後者が続くとうんざりするだろうが、今のところ大丈夫。
企業で働いていたとき、目的意識は強い方だったと思う。
なんだったか忘れたけど、そういう診断結果をもらったような。
でも、辞めてから思うのは、目的が明確でない事が世の中に多い。
常に目的を尋ねるのは、上から目線ととらえられることもあろう。
時々立ち止まることは必要だけれど
目的もなく、感覚、感情、思いつき、流れのままにやってく。
小さいことなら尚更。そういうのも必要。
facebookやtwitterが始まったとき
なんで公衆に向かって?とか
なんで人間関係を晒す?とか
目的がわからないこともあったけど
いまではそんなこと聞かないはず。
流行で終わるものもあれば、文化になるものもある。
こじみシェアも、そういう感じ。
でも、面倒な時は、自分の頭を整理するため、と答えている。
実際、やってて頭が整理されるのは確かなので。
目的を尋ねる質問は、しばしば、その行動によって何を手に入れようとしているのか、を探る行為とも言える。
それをして、どうなるの?
貴重な時間を使って、何になるの?
誰が得するの?
その質問は、成長時期のもので、成熟期には似合わない。