平成から令和へ(フラグメンテーション編)
4月30日。
記憶の断片みたいなものが出てきた。
新しく記憶したものも含まれているかもしれない。
何かのワンシーンだけ出てくる。
きっかけは、大学の授業だった。
4月26日金曜日午前。
ダイバーシティ入門の授業をしていた。
自分で書いたブログを繰り返して読みながら、これは一体どういうことなのだろうと、頭の中は疑問でいっぱいだった。
たしかに、Nさん&Iさんの写真を学生に見せて、ステレオタイプの授業をする予定だった。教材は前の週にできていたし、履修生にも共有していた。準備は万端だった。
しかし、授業を実施した記憶がない。教壇から学生に話しかけた記憶がない。では、このブログに書いてある授業は誰が教えたのか。
突然、頭の中にフラッシュのように映像が一瞬駆け抜けた。
教室の端から、学生を撮影している。
そうだ、これはわたしが撮った写真だ。
うまく撮れなかったから、4回撮影した。
突然、思い出した。
急いでタブレットを見ると、確かに4つの画像が残っていた。
すると、授業中の別のシーンがまた頭にフラッシュのように入ってきた。
残念ながらその映像の意味はわからない。一体、あれは何の映像だろう。
その日も音声入力を残した。
フラグメンテーション。
情報を記録する際、意味のあるまとまりを連続した領域に格納したくても、いっぺんに入りきらないことがある。その場合、複数の小さい領域に格納できるよう、もとの情報を分割する。要するに、まとまった記憶情報を断片にちぎって、それぞれ違う場所に保管するのだ。
なるほど。わたしのキャッシュは全てがクリアされたわけではなく、断片で残っているものもあるのだ。しかし、チェーンが途切れているために、意味のある情報として回復できるものもあれば、ただの情報断片でしかないまま、ごみのように残ってしまうものもあるのだ。
ハードウェア技術が進歩したいま、コンピュータに関する技術は陳腐化して使えなくなっているものもある。しかし、その知識のおかげで、わたしの中で起きている、記憶に関する諸々の不可解な事象が、少しは想像できるようになっている。やはりコンピュータの勉強をしていてよかった。
そんなことを考えながら、つぶやいた。
「今日は4月29日だっけ?」
平成から令和へ(デフラグ編)につづく。
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