光って消える ただそれだけと知りながら
私はRadwimpsのファンで正直どの曲も大好きなのだが、その中でもかなり好きな1曲『螢』の一節だ。
好きというか、幾度となく私を受け入れて奮い立たせてくれた、そんな曲だ。
今回は、私の10代後半の人生の大事な場所にあるこの曲について勝手ながら綴らせて欲しい。
以下、歌詞と私なりの解釈を失礼します。
若輩者の解釈だということはご容赦ください。
曲のタイトルにもなっている、夏の夜空を光りながら飛ぶ蛍。
光り舞っている時には情緒的だと好ましく見られるが、そうでなければ有象無象の虫の1つとなる。嫌悪感すら覚える人もいるかもしれない。
そんな蛍に「僕」は自分を重ねている。
誰かに見ていて欲しくて、余った羽を借りてでも、光りたい。
だがしかし、光るものに近づいていけば自分には大きすぎるように感じて、別にそれほど大それた物を欲しているわけでもなかった。
取るに足りなくて、何かを残せるような立派な自分ではないけれど、それを分かってなお一生懸命に生きたい。きっとそれは美しいことだから。
自分の幸せの理由を誰かに頼るのも、もうやめた。
以上、一番の歌詞である。
どうしても「頑張っていない自分」を許せない私がいて何とか頑張ろうとする一方で、ふと虚しくなる瞬間が訪れる。
「私はこうして頑張って、幸せになるのだろうか」と。
世間には「生きているだけで素晴らしい」というような言葉があり、勿論そうなのかもしれないが、私にはそうは思えなかった(少なくとも自分に関しては)。
そんな私の気持ちを否定する事もなくいつだって温かく包み込んでくれ、励ましてくれる優しいこの曲が大好きだ。
もしここまで読んでくださり、聴いてみたいと思われた方がいたら是非とも聴いて頂きたいと思う。
Radwimps『螢』
ここまで書いていて、頑張らねばと改めて思った。
螢で良いので今日も頑張ってこよう。