鏡
もしも、私の他に一切何も無い世界だったとして、たった一つだけ、何か与えてもらえるとしたら何が欲しいだろう?
そんな妄想をした時に、私は「鏡」を思い浮かべた。
誰もいない、自分が何者かもわからない、そんな世界に、もし鏡があったとしたら、どんなに救われるだろうかと思う。
この世界の始まりが、光と闇の二つに分かれたんじゃ無くて、神様が現れたのでもなくて、ただ鏡が現れたのだとしたら?
その鏡は、どこにあると思う?
そんな妄想をしながら、鏡に想いを馳せた昨日は、たまたま見かけたテレビ画面に、双子の男の子が登場し、中島みゆきの「糸」を歌い上げた。
歌詞は勿論、双子と織物の映像も合わさり、ぐっと込み上げるものがあった。
鏡に向き合う時間が長くなるほど、良い面も悪い面も、そのままの自分を愛せる様になる、と誰かが言っていた。
女神のわたしと、現状のわたし。
この二つの間にもし、時間も距離も無いとしたら?
鏡は、向こうとこちらの二つの座標軸を「0」に重ね合わせる装置、だとしたら?
簡単な様で、人によってはまるで鯉の滝登りの様に難しく感じられるかもしれない。
でもそんな鯉もいずれは滝を昇り、龍となる。
鯉は、鏡の向こうに、龍を見ていて、龍もまた、鯉を見ている。
8月は、22日と23日の境目に、ある法則から鏡が現れる。
22日以前と23日以降は、鏡のむこうとこちら。
今年の主役、水瓶座の満月(22日)と、ほぼタイミングを同じくして、支配星の天王星も逆行が始まった。
まるで、満月が鏡だったかの様に。
22を超えるための、
わたしを見つめる時間。
距離も時間も無くしていく。
ゼロポイントでわたしが待っている。