コラムのお手本 山内マリコ氏の「内助の功」論に学ぶ

▼ノーベル賞の季節に、匕首(あいくち)を突き付けられたような、コラムらしいコラムを読んだ。作家の山内マリコ氏が2018年12月12日付毎日新聞夕刊に書いた〈「内助の功」の意味するもの〉。

受賞者の陰には、彼を献身的に支えてきた妻ありという話が、美談調に語られるアレだ〉という第一段落の一文からしてキレている。

内助の功という日本語独特の表現を、〈内助の功とは、夫が仕事のことだけ考えていられるよう、身の回りの面倒な雑事を妻が引き受けることを言う〉と定義し、〈食事の支度、掃除に洗濯、そして子育て、時には親の介護まで。そのすべてを妻は、家族への「愛」の名のもとに無償で行う。男性からすれば、便利この上ないシステムだろう〉とバッサリ。

▼山内氏はコラムの中盤で、映画『天才作家の妻 40年目の真実』や話題の評伝集『ヒロインズ』を取り上げ、より大きな構図を示す。キーワードは「ミューズ」だ。〈自らも創作意欲のあった魅力的な女性たちは、「ミューズ」というあやふやな存在に押し込められ、男性に手柄を総取りされていく〉。これは、日本の芸術、文学の歴史にもたくさんの例がある。

そしてコラムは〈女性は能力があっても、恋愛や結婚によって何もかもが男性に吸い上げられていく構図が浮かび上がる。内助の功もまた、その一つの形に過ぎない〉と締めくくられる。700字もない短文で、生活の「虫の目」と歴史の「鳥の目」を往来し、日本的な現象を相対化する。見事だ。

▼全国紙に、できれば読者数が圧倒的に多い朝刊に、こういう切れ味鋭いコラムをどんどん載せてほしい。政治や経済の批評と、生活、文化、社会風俗についての批評は、同類ではないが、無縁ではない。

「大文字」の理念は、いくつもの「小文字」の物語によってこそ豊かになる。クリックしてもたくさんの「小文字」が出てこない「大文字」ほどつまらないものはない。

(2018年12月20日)

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