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コロナ禍で浮き彫りになった感染症差別の話

▼感染症差別といっても、今号は、新型コロナウイルスの患者が差別される話ではない。

▼コロナ禍という世界的な出来事を強烈に相対化する記事が2023年5月9日付「朝日新聞」に載っていた。

〈ピーター・サンズ「グローバルファンド」事務局長に聞く 上/コロナで後退 3大感染症(エイズ・結核・マラリア)の克服を/中低所得国では後回しにされ 今なお流行/何十万もの子どもの死 手段あるのに座視

▼一言でいうと、ここ3年間のコロナ禍対策によって、3大感染症(エイズ、結核、マラリア)の対策が後退してしまった、という話だ。官民連携基金「グローバルファンド」のピーター・サンズ事務局長へのインタビュー。(聞き手・神宮司実玲、浜田陽太郎)

〈「結核をみれば、いまも明らかに『パンデミック』状態が続いている。どの国にも患者はいて、21年には約1060万人が新たに発病し、160万人が結核によって命を落とした」

「それなのに、コロナほどの緊急性をもって対処しなければいけないと感じておらず、資金投入もない」

――つまり、コロナが、結核のように中低所得国の流行でとどまっていたら、同じスピードでは治療薬やワクチンの開発は進まなかったと。

「その通りだ。まったく疑問の余地はない」

「もし、子どもが毎年何十万人も亡くなる病気が、日本などの豊かな国であったら、どうだろうか」

「それがアフリカ諸国にとってのマラリアだ。アフリカでは約60万人がマラリアで死亡するが、その8割近くは5歳未満の子どもたちだ」

「我々は、マラリアに打ち勝つ手段を持っている。にもかかわらず、子どもたちが死ぬのを座視している。貧しい国で新興感染症への備えを強化する最善の方法は、いまある感染症を克服することだ」

▼甚だしい「南北格差」が、「コロナ禍の対策」と「三大感染症の対策」との違いに、残酷なまでにあらわれた、ということがわかる。

▼G7には、これまでの「グローバルサウス」という呼び方を変えよう、3つに分類しよう、という動きがあり、日経新聞で記事になっていた。

これは、南北格差を隠すための、とてもわかりやすい方策なのだが、あまり話題になっていない。

▼「いまある感染症」という一言の奥にある無数の現実を報道する記事を、日本語のマスメディアでは、またグローバルノースのマスメディアでは、目にする機会がとても少ない。

「北」と「南」とでは、命の重さが違う。

▼さらに、次の言葉も印象的だ。

〈「エイズや結核のワクチンは現在もないことから分かるように、どんな感染症についてもワクチンがつくれるとは限らない。ワクチンや治療薬がすぐに開発できるという想定はしない方が良いだろう」〉

▼そのとおりだ。エイズにワクチンは無いし、結核のワクチンもこの世に存在しない。新型コロナウイルスにワクチンが開発できたのは、とても幸運なことだった。

幸運な人が、不運な人の境遇とその原因に想像力を働かせるのは、難しい。しかし、無理ではない。
(2023年5月10日)

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