藤井聡太氏が、誰も破れないと言われてきた将棋の記録を2つ破った件
▼17歳の少年が、日本のマスメディアの注目を一身に集めている。将棋棋士の藤井聡太氏が、また大記録をつくった。これで二つめだ。
■史上最年少のタイトル挑戦
▼ひとつめは、連勝記録である。28連勝という「誰も破れない」と思われてきた記録を破ったことは、覚えている人が多いと思う。藤井氏が29連勝したのは2017年の6月だから、もう3年も前の出来事だ。
▼ふたつめは、昨日から騒がれている最年少でのタイトル挑戦である。17歳10カ月。屋敷伸之氏の記録だ。今回、同じ17歳10カ月の藤井氏が、わずか4日差で塗り替えた。2020年6月4日配信の産経新聞記事から。
〈将棋の高校生棋士、藤井聡太七段(17)は4日、東京・千駄ケ谷の将棋会館で指された将棋のタイトル戦「第91期ヒューリック杯棋聖(きせい)戦」(産経新聞社主催)の決勝トーナメント挑戦者決定戦(決勝)で永瀬拓矢二冠(27)=叡王(えいおう)・王座=に勝ち、渡辺明棋聖(36)=棋王・王将=への挑戦権を獲得した。〉
▼この後、すぐ目の前にそびえている記録が、最年少でのタイトル獲得。これも、屋敷氏の18歳6カ月が現在の記録だ。
■すでに、実質的に最強の棋士
▼いま、将棋棋士の強さを測る2種類のレーティングがあり、両方のトップ10をチェックしておこう。すでに、これまでにない事態が起こっていることが一目瞭然になるように、年齢も追加しておく。
また、見やすいように、「藤井」「羽生」、そして「8冠のタイトルのどれかを持っている人」を太字にしておいた。
まず、ひとつめのレーティング。「棋士ランキング」。
1 藤井聡太七段 1965(17歳)
2 渡辺明三冠 1950(36歳)
3 永瀬拓矢二冠 1930(27歳)
4 豊島将之竜名 1928(30歳)
5 羽生善治九段 1845(49歳)
6 菅井竜也八段 1836(28歳)
7 千田翔太七段 1836(26歳)
8 斎藤慎太郎八段 1815(27歳)
9 佐々木大地五段 1808(25歳)
10 木村一基王位 1797(46歳)
▼もうひとつのほうのレーティング。「将棋棋士レーティングランキング」。
1 藤井聡太 七段 1957(17歳)
2 渡辺明 三冠 1937(36歳)
3 永瀬拓矢 二冠 1922(27歳)
4 豊島将之 竜王名人 1916(30歳)
5 羽生善治 九段 1834(49歳)
6 菅井竜也 八段 1826(28歳)
7 千田翔太 七段 1825(26歳)
8 斎藤慎太郎 八段 1802(27歳)
9 佐々木大地 五段 1799(25歳)
10 広瀬章人 八段 1782(33歳)
▼つまり、2020年6月5日時点で、藤井聡太氏が全棋士のなかで最も強いのである。1位になったのは2020年の4月。今回の棋聖戦は、1番強い17歳の棋士が、3番目に強い27歳の棋士を破って挑戦権をつかみ、2番目に強い36歳の棋士に「挑戦」する、という構図なのだ。
渡辺明氏の発表した談話が、渡辺氏の冷静な現状認識をあらわしている。
「藤井七段の初のタイトル戦という、間違いなく将棋史に残る戦いに出場することに大きなやりがいを感じる。期待に応えるような将棋が指せればと思う」
以前、筆者は「将棋のトッププロに見えている残酷な現実の件」と題して、渡辺氏の現状認識を紹介した。今回のコメントは、これと軌(き)を一(いつ)にしている。
驚くべきことに、渡辺氏は、自分は「羽生」と「藤井」に挟まれた存在だと自己認識しているのだ。
▼もちろん、レーティングは「水物(みずもの)」であり、コロコロと入れ替わる。
しかし、17歳が全棋士の実質的な頂点に立っているという光景は、これまで将棋ファンの誰も見たことがない光景だ。
▼筆者は、最年少の記録には、運もあり、あまり意味を感じないが、今年の棋聖戦が、かつてない盛り上がりになることは間違いない。ファンとしてはぜひとも5戦やってほしいところだ。
■今後、たちはだかる記録ーー「8冠独占」
▼いちおう、今後の記録のことをメモしておくと、藤井聡太氏がこれからの棋士人生をかけて挑む、「誰も破れない」と思われている記録が2つある。正確にいうと、「誰も成し遂げたことのない」記録である。
ひとつは、「8冠」(全冠独占)。もうひとつは、「永世8冠」である。
もっとも、これはスポンサーの経済状況もあるので、冠の数の増減がありうる。
▼数年前までは、最も多くて「7冠」だった。史上最強の棋士といわれた羽生善治氏が、1996年、26歳で「7冠」を独占した。
これは、本当に驚天動地の記録で、言わずもがなだが、書いておくと、「7冠」とは、1年ごとに順番に7つのタイトルをとる、ということではない。「同時に7冠を独占している」状態を指す。
羽生氏の場合、1995年に「6冠」を達成し、あと1つ、というところで、谷川浩司氏に挑戦した王将戦で敗れた。
「阪神淡路大震災」の直後である。兵庫県の神戸に住む谷川氏は、意地を見せた。
〈震災後の苦境を乗り越え、最強のライバルである羽生さんを下してのタイトル防衛は、被災地を勇気づけた。対局を終えて大阪空港に降り立つと、勝利を祝う横断幕が出迎えてくれた。〉(神戸新聞2020年1月16日配信)
▼これで、誰もが「残念ながら、羽生の7冠はなくなった」と思った。なぜなら、次の年に7冠を獲るには、「すでに獲った6冠をすべて防衛し、そのうえで、谷川浩司に勝つ」という離れ業(わざ)を成し遂げねばならないからだ。
四半世紀経ってから、こうやって書いてみても、率直に、やはり無理だろうと思う。
しかし、羽生氏は、それをやってのけたのだ。
▼羽生氏の妻である羽生理恵氏が、先日、素敵なツイートを披露してくれた。いわく、
〈1995年初の将棋の七冠獲得に挑み敗れた。その時もうお付き合いしていて前夜に電話で応援したのを覚えています。結果は残念。世間も私もやはり七冠なんて幻…そう思いました。感想戦と打ち上げ終えた後、くれた電話忘れません。『全部防衛するから来年お祝いして』耳を疑い受話器落とした翌年の出来事/午後3:22 · 2020年2月14日·Twitter for iPhone〉
▼この1996年は、おそらくタイトル戦以外の棋戦も、ほとんど羽生氏が独占していたと思う。
▼それから長い年月が経って、3年前の2017年、羽生氏は竜王に返り咲き、「永世7冠」の資格を得た。
▼7冠とは、「竜王」「名人」「王位」「王座」「棋王」「王将」「棋聖」。
いまは、これに「叡王」というタイトルが加わり、8冠になったわけだ。
藤井氏は、今月から始まる棋聖戦の番勝負に、勝っても負けても、この「8冠」に挑むことになる。その初戦が、今月から始まる棋聖戦挑戦だ。
▼羽生氏には、森内俊之氏、佐藤康光氏、深浦康市氏をはじめ、多くの同世代のライバルがいて、しのぎを削り合った。
藤井聡太氏のライバルになる人は、誰だろう。現在のレーティングを見る限り、まだわからない。
(2020年6月5日)