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日本社会に「QOL(生活の質)」という名の優生思想が浸透しつつある件(1)

▼メモを、1日に1つ書くのではなく、1カ月に1つ書くとしたら、どの話題だろう、と思い、このひと月で筆者の目にとまった新聞記事を整理してみた。

▼2019年9月2日付の琉球新報に、共同通信の宮城良平記者による「共生の実相 命の線引きを問う」という記事が載った。

〈「どうせ」が響く世界(5) 「無益な治療」論広がる〉

▼2016年に、神奈川県相模原市の障害者施設で入所者19人が殺されたが、あの時、インターネットの中では犯人を称賛する声が散見された。

日本社会には、差別を正当化する優生思想が深く浸透(しんとう)している事実が「見える化」されたわけだが、宮城記者による「共生の実相」は、この優生思想について考える連載だ。

▼記事では、

クオリティー・オブ・ライフ(生活の質)」、

いわゆる

QOL

という美しい言葉が、じつは優生思想と骨絡(がら)みである現実を、丁寧に炙(あぶ)り出している。

▼話は2004年にさかのぼる。適宜改行。

〈米シアトルの病院で、重症心身障害のある6歳の女児アシュリーに対し、親からの要望で子宮摘出、乳房切除、身長抑制が行われた。生理痛・病気予防など「生活の質(QOL)改善」が理由とされた。

 07年に世界的な論争が起きた。親と医療が結託して障害のある子に行った医療介入。賛同者も得ていた。

真美さん(児玉真美、引用者注)は「歯止めをかけなくては」という思いで調査を始め、ブログも開設。後に著書「アシュリー事件 メディカル・コントロールと新・優生思想の時代」にまとめた。〉

▼児玉真美氏は、娘に重症心身障害がある。相模原の事件が起きた時、「絶叫しそうなほどの恐怖を感じた」「ついに起きた」と思ったそうだ。

差別は、気づく人は、常に気づいている。気づかない人は、いつまでも気づかない。

▼アメリカで起きた論争は、人の「尊厳」をめぐるものになった。

〈障害者を中心とする反対派が「尊厳を奪った」と主張したのに対し、賛成派には「重症児だから尊厳の問題ではない」との論調があった。

尊厳は同列ではないのだ、という線引き。真美さんは、親や医師の発言の行間に「どうせ」という言葉が響くのを感じた。「どうせ重い障害があるから」と。〉

▼つまり、「QOL=生活の質」という美しい言葉を理由にして、人間の「尊厳」を差別化する、差別化してもいい、という、差別正当化の、おぞましい論理が生まれているわけだ。

「QOL」に、気をつけろ。(つづく)

(2019年9月21日)

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