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法人は個人を守らない話 その3 『これ描いて死ね』が心に刺さる

▼とよ田みのる氏の『これ描いて死ね』第5巻と松本大洋氏の『東京ヒゴロ』を読んだ。

両作とも自宅で読んだが、落涙を抑えられなかった。

▼『東京ヒゴロ』は、編集者とマンガ家の物語。名作である。『これ描いて死ね』は、第5巻の帯や表紙の文言を引用する。

帯〈漫画、その光と影。/光があるから影がある。漫画創作は楽しくて、そして苦しい。夢破れた先生と、夢に向かう生徒たち。漫画と共に生きる物語。/漫画大好き漫画家が描く漫画の漫画!〉

以下、!が幾つも続く。

裏表紙と帯〈生きている。私たち漫画と共に生きている。漫画は最高だ!!!/読む喜び、描く楽しみ。ようこそ漫画愛ランド!!!!〉

▼まさに、この宣伝文句どおりの物語だ。筆者にとっては、『これ描いて死ね』というタイトルが心に刺さる日々である。

▼たまたまだが、上記の両作とも、版元は小学館だ。

小学館は、素晴らしいマンガをたくさん世に出してきた。これからも世に出していくだろう。

『これ描いて死ね』や『東京ヒゴロ』を担当した編集者たちは、芦原妃名子氏の死を知った時、自らの胸に、どんな思いが去来(きょらい)しただろうか。

▼芦原氏が人生を終えるまでの最後の数日間、芦原氏の「気持ちのカメラ」(『これ描いて死ね』第5巻から)には、どんな光景が映っていたのだろうか。

あの長い謝罪文を読む限り、たとえば「木曽さんのお気持ちが一番ですから」(『東京ヒゴロ』第1巻から)という気持ちの編集者は、おそらく、そばにいたと思う。

『東京ヒゴロ』には、ゲーテの言葉が引用されていた。

「毎日を生きよ。あなたの人生が始まった時のように」

▼BからFの報道やコメントを読み直して、あらためて気づいたが、芦原妃名子氏の死について、書くべきことはA(東京スポーツのスクープ)をもとに前号で書いた。なので、他に書くことはほとんどない。だからなかなか書く気が起こらなかった。

▼前号の要点は二つで、一つは、芦原氏の死によって業界は「何も変わらないだろう」という見通し。もう一つは、業界の因習と、SNSと、「2段階の暴力」の話だ。この二つを明記した論説を探しているが、なかなか見つけられない。

▼BからFを読んだうえで、書いて意味があることがあるとすれば、「ニッポンのテレビドラマの世界や、出版業界にこびりついている因習」が、芦原氏を追い詰め、「SNS、とくに旧Twitter(現X)に蔓延(はびこ)る感情ポルノの嵐」が、さらに別次元にまで追い詰めた、という、前号までに示した「原作者を襲う2段階の暴力」の説を、整理することだろう。適宜改行、太字。

▼これは蛇足だが、「セクシー田中さん」の場合は、おもにホリプロの役者が使われているが、「テレビ局と芸能事務所との因習」についても、昨年、ジャニーズ事務所による長年にわたる性虐待がイギリスのBBCのおかげで露わになったものの、業界全体の構造的な改善につながるかといえば、心許無(こころもとな)い。

▼B。2024年2月7日の昼に、Business Journalが配信した記事は、この時点までの経緯を上手にまとめている。

〈2024.02.07 16:58 2024.02.07 12:19/文=Business Journal編集部

 昨年10月期の連続テレビドラマ『セクシー田中さん』(日本テレビ系)で、原作者の意向に反し何度もプロットや脚本が改変されていたとされる問題。『セクシー田中さん』の制作にあたって原作者の芦原妃名子さんは、ドラマ化を承諾する条件として、原作代理人である小学館を通じて日本テレビ側に、必ず漫画に忠実にするという点などを提示していた。

その小学館では過去にも、漫画『しろくまカフェ』のアニメ化で原作者が意見を伝える機会を与えられず、さらにアニメ化に関する原作者との契約も取り交わされないまま放送され、連載が休載に至っていたことがわかった。

芦原さんは先月29日に亡くなり1週間以上が経過したが、日本テレビと小学館は詳細経緯の説明や調査を行う意向などを発表しておらず、小学館は社員向け説明会で経緯などを社外に発信する予定はない旨を説明したとも報じられている(7日付「Sponichi Annex」記事より)。

『セクシー田中さん』の問題をめぐっては、芦原さんが提示していた漫画に忠実にするなどの条件が小学館側から日本テレビに正確に伝えられていなかった可能性があるともニュース番組『Live News イット!』(フジテレビ系/1月30日放送)などで伝えられている。その小学館が、過去にも作品の映像化において同様の問題を起こしていたという告発が相次いでいる。〉

▼記事はここから、これまでに起こった『海猿』の佐藤秀峰氏、『いいひと。』の高橋しん氏、『金色のガッシュ!!』の雷句誠氏、「しろくまカフェ」のヒガアロハ氏が巻き込まれたトラブルの数々を紹介している。

▼芦原氏の死を知った後の、雷句氏のコメント。

<出版社や制作側などなどが「原作者が泣き寝入りする」ことだけを期待している、あのプレッシャーの中で、作品を守ろうと奮闘するのは、とてつもなく大変でした><毎週会社まで呼び出されて疲れ切っていて、心の余裕が本当になかった><力不足で守れなかったんだけど…。でもあの出版社からは逃げられた。当時は「ここから出て行く!」を最大目標にして動いていた>

〈テレビ局関係者はいう。「コンプライアンス意識の浸透や、あらゆる権利関係の事柄への意識の向上もあり、現在では『のちのち揉めないように』という防御策としても原作サイドとの契約はしっかりと取り交わすようになっており、原作者の意向を無視するということも起こりにくい。ただ、テレビ局は原作者本人ではなく原作代理人である出版社とやりとりを行うので、原作者の意向が正確にテレビ局側、さらにはその先の脚本家に伝わらないケースは当然出てくる

このまま幕引きの様相

 ドラマ制作における原作の取り扱いや原作者の権利保護が大きくクローズアップされテレビ界全体の問題となるなか、注目されているのが日テレと小学館の動きだ。日テレは芦原さんの訃報に際し先月29日と30日に次のコメントを発表して以降、沈黙を守っている。

<2023年10月期の日曜ドラマ『セクシー田中さん』につきまして日本テレビは映像化の提案に際し、原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきながら脚本制作作業の話し合いを重ね、最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております>(先月29日)

<日本テレビとして、大変重く受け止めております。ドラマ『セクシー田中さん』は、日本テレビの責任において制作および放送を行ったもので、関係者個人へのSNS等での誹謗中傷などはやめていただくよう、切にお願い申し上げます>(先月30日)

 また、小学館も30日に<先生の生前の多大なご功績に敬意と感謝を表し、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。先生が遺された素晴らしい作品の数々が、これからも多くの皆様に読み続けられることを心から願っております>

とのコメントを発表して以降、情報の発信は行っていない。前述のとおり今後も経緯などに関する社外発信を行わない意向だとも報じられているが、こうした両社の姿勢に対し疑問の声も寄せられている。たとえば、『逃げるは恥だが役に立つ』『アンナチュラル』(ともにTBS系)などで知られる脚本家の野木亜紀子氏は5日、X上に次のようにポストしている。

<両社ともこれ以上不幸が起こらないようにとは考えているだろうし、それは当然と思います。個人の責任を追求するということではなく、条件面での掛け違いがあったのならなぜそうなったのか、経緯説明が必要と感じます>

どちらも大企業で、原作ビジネスで散々金儲けしておきながら、問題が起きたら個々のクリエイターに責任ぶん投げて終わりなんて、そんなことある?そんなことないと思いたいので、このままなかったことにはしないでもらいたいのです

▼この野木亜紀子氏の指摘は重要だ。「法人は個人を守らない」という話が、具体的に論じられている。「大企業」が「法人」であり、「個々のクリエイター」が「個人」だ。

〈日本テレビ関係者はいう。

「社内では正式に詳細を調査して対外的にその結果を公表するような動きはないし、今後もそのようなことはしないとみられている。

ドラマ制作の過程において進め方に落ち度はあったのかもしれないが、日テレとしては小学館との間できちんと契約を結び、最終的には原作者の意向を取り入れて承諾を受けた脚本を決定稿としてドラマを制作したので、形式上は契約違反などはないというスタンス。

もし調査した結果、日テレ側の不適切な進め方などが判明して謝罪に至るようなことになると、過去数年間に遡って全ドラマを調査しなければならなくなり、現在放送中のものや、すでに企画・制作が動き出しているものにまで影響してくるので、避けたいところだろう。

『セクシー田中さん』で表面化した問題は、どのテレビ局のドラマ制作現場も大なり小なり抱えており、これ以上掘り返されたくはないというのが各局共通の本音。

なので、各局の報道・情報番組もこの事案に関しては扱いに消極的であり、テレビでの報道は下火になっている。テレビ界全体として、このまま幕引きに向かわせようとしている空気がある」〉

▼記事は続くが、このあとは「これまでの経緯」として、本誌前々号で紹介した内容とだいたい同じ。

おさらいとして、2023年12月24日の相沢友子氏の投稿の後、芦原氏が投稿した「ドラマ化の条件」部分を引用する。

<ドラマ化するなら『必ず漫画に忠実に』。漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく>

<漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様『原作者があらすじからセリフまで』用意する。原作者が用意したものは原則変更しないでいただきたい>

▼これらの条件は、芦原氏によれば、小学館を通じて日本テレビに何度も確認した由。

そのうえで、原作は日本テレビ側によって壊され続ける。

<漫画で敢えてセオリーを外して描いた展開を、よくある王道の展開に変えられてしまう>

<個性の強い各キャラクター、特に朱里・小西・進吾は原作から大きくかけ離れた別人のようなキャラクターに変更される>

など。そのため、第9話と第10話は、芦原氏自身が脚本を担当したわけだ。

▼マスメディアは、今回の出来事が、芦原氏によるSNS投稿【以前】の、「脚本家である相沢友子氏のSNS投稿に端を発した」という事実を無視しているので、上記の問題点も、必然的に、あやふやになっている。

だから、「何が問題なのか」が言語化されていないし、定着もしていない。つまり、業界の旧習という暴力にも、SNSの暴力にも、ピントが合わない。

▼今回の問題を報じるどの記事を読んでも思い浮かぶことある。それはエージェント=代理人の存在だ。

これは、10年ほど前に大原ケイ氏の『ルポ電子書籍大国アメリカ』を読んで蒙を啓かれたのだが、アメリカの出版業界では、作家にとって、エージェントがとても大事な役割を担っていることを知った。

今回、露わになった日本テレビと小学館の問題に即して考えると、日本では原作者にとって、出版社が概(おおむ)ねエージェントの役割を兼ねており、その構造が悲劇を生んだ、といえる。

▼ふと、これは「義理人情」にあてはめると、わかりやすいだろうか、という考えが思い浮かんだ。「世間の約束事」と、「詩を生む心」と。

出版社がエージェントの役割を兼ねてしまうと、義理と人情とが一緒くたになってしまうのだ。ここでは、「義理」が「法人」の原理に、「人情」が「個人」の原理にあたる。

▼尤(もっと)も、江戸時代にはそもそも「身分の上下関係」という巨大な構造があり、その身分制度の下、町人たちが生きる世界(世間、共同体)において、「義理が人情に勝つ」悲劇が起こったので、厳密にいえば「義理と人情」は「大組織と一個人」の対応には当たらないのだが、それは措(お)く。当時、基本的に個人が、たとえば慕い合う二人が、「世間」に太刀打ちできないことに変わりはないからだ。

▼で、人形浄瑠璃が好きな人ならすぐわかるように、義理と人情とが対立すれば、必ず義理が勝つ。此世(このよ)の名残、夜も名残、道行(みちゆき)、心中、近松門左衛門の世話物の世界である。

もし、現状の日本のマンガ業界に、義理人情の世界があてはまってしまうとすると、人情を守るための役割が必須だ。法人と利害関係のない、「義理」に通じた=法律というジャングルに詳しいプレイヤー。エージェントである。それは、残念ながら出版社に雇われている編集者ではない。

▼構造を大がかりに改善するよりも手っ取り早く、取り急ぎ原作者を守る対策の一つが、エージェントの導入だと思う。しかし、マスメディアではほとんど論じられない。エージェント業が活発になればなったで、厄介な金の亡者が出てくるだろうが、それはその時の話だ。

マスメディアがエージェントの導入について議論の俎上(そじょう)にすら乗せない理由を想像するに、一つは、そういうことをされると、テレビ局にとっても出版社にとっても面倒だから、悪しきクロスオーナーシップ制度下のニッポンでは、利害が骨絡(ほねがら)みのマスメディアは当然、触れたがらない、という力学が想定される。

2つめに、これは前号でも少し書いたし、1つめともリンクするが、ニッポンのリーガルマインドや如何(いか)に、という問題だ。

たとえば、マンガ業界やテレビ業界が原作者の尊厳を踏みにじって恥じない現状へのマスメディアの鈍感さは、生成AIがクリエイターの権利を猛然と侵(おか)し始めている現実に対する鈍感さと、軌を一にしている。

尤も、そんな分析をするまでもなく、そもそも「マスメディアの記者もまた、法人に雇われて仕事をしているから」という、身も蓋もない話かもしれない。

▼C。これは小学館と集英社とを比べた記事。

〈芦原妃名子さん死去 小学館「ゼロ回答」に社員から不満も…集英社とは異なる社風/2024年2月8日 05:00 東スポWEB〉

 漫画「セクシー田中さん」を描いた漫画家の芦原妃名子さん(享年50)の急死をめぐり、同作を連載していた小学館が社外向けにコメントしないことが7日、明らかになり、波紋を呼んでいる。同社の現場レベルもこれに納得しておらず、社内の温度差が浮き彫りに。小学館社員は会社が〝ゼロ回答〟を決断した背景を語った。

 漫画誌「姉系プチコミック」で「セクシー田中さん」を連載していた小学館は6日、社員向けの説明会で現状を説明した。その中で現時点では、会社として社外向けにコメントしないと通知。理由は「芦原先生が、悩まれて発信したXを、〈攻撃するつもりはなかった〉という一文とともに削除されたことを鑑み、故人の遺志にそぐわないと思うからです」としている。

 これが翌7日、世間に明るみに出て、波紋を呼んでいる。小学館の広報担当者は取材に対し、芦原さんの訃報があった1月29日の翌30日に同社公式サイトで発表した追悼声明以外は「回答できません」とした。回答できない理由も「回答できません」とした。

 SNS上では〝原作者が大事にされていない〟といった声が増えるばかり。「はじめの一歩」の漫画家の森川ジョージ氏はこの日、X(旧ツイッター)で「せめて出版社は毅然とした表明してくださいよ。代理人であり窓口だよ」などと求め、賛同を得ている。〉

▼出版社が代理人でもある現状が、やはり問題だと考える。

〈同社の現場レベルも会社の方針に納得していない。ある小学館社員は苦虫をかみ潰したような顔で、会社が〝ゼロ回答〟を決断した背景を語った。

「社内の現場レベルでは作家さん(漫画家)との関係を大事にしているけど、上層部はそうではないという認識があります。それはなぜか。漫画編集をそこまで理解していない部署の責任者が出世しているからと言われています。上層部にはワイドショー番組に出演して活躍した役員もいますから」

 小学館は設立102年で日本を代表する大手出版社。その娯楽誌出版部門が分離する形で集英社が設立された。両社は都内の所在地名から「一ツ橋グループ」とされるが、毛色は微妙に異なる。

「我々(小学館)は書籍や漫画誌、週刊誌、学習誌、ファッション誌を扱う総合出版社。集英社は『週刊少年ジャンプ』に代表されるように漫画大好きな社員が多い。我々は時に〝作家さんへの配慮が足りない〟と言われる。社外向けのコメントなしもその表れだと感じました」(同)

 小学館社内では、会社が現場レベルの声に押される形で改めて対応するとみているという。

▼この東京スポーツの記事の予測は正しかった。この後、小学館はまさに〈会社が現場レベルの声に押される形で改めて対応する〉ことになる。

この記事を読んだ時、筆者は「そんなことになるのかなあ」と懐疑的だったが、記事が正しかった。記者の情報源である小学館の社員が正確な情報を伝えたのだろう。次号はD以降を読んで考える。

(2024年2月24日)

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