菊の季節
9月は菊の季節で、先日、部屋に飾る菊を探しに花屋に出かけたものの、ちょうど良い菊が見つからず、結局、鶏頭や吾亦紅ややまごぼうを持ち帰った。故に、未だ菊を欲している自分がいて、しばらくは菊探しを続けるのだろうと思う。
心に適う菊が手に入らないことは残念であったけれども、鶏頭も吾亦紅もやまごぼうも、それぞれに味わい深く愛おしいものだ。秋の草花にはどれもこっくりとした色が載っている。春先に咲く花には、軽やかな春風のような雰囲気が載っている。
花びらや枝葉は、季節の何を受け止めてそういう発色をしているんだろうね。
人間には雰囲気というものがあって、明るいとか暗いとか、爽やかだとかイライラだとか、一人一人がそれぞれ異なる雰囲気を纏っている。
人は、外的世界の何を受け止めてそういう雰囲気を発してしまうだろう。
私が、この人(クライアント)の話を聞くのはとても疲れる、と感じるときは、クライアントの精神がとても疲弊している時。
クライアントの疲弊の原因を理解することに意識を向けてみると、そこで見えてくる世界に圧倒される。あのひどい疲れは、クライアントがその疲弊を起こす原因となっている体験を自分の中で疑似体験をしているのかもしれない。
ああ、そうして、この人の言動はここから来ているのだということが見えてきた時、出口が見えてくる。
この出口が見えるまでの時間に比例して疲れが残るようだ。
しかし、出口が見えれば、もう大丈夫。理解できないことは恐怖だけれど、理解できてしまえば、それは希望に変わる。
希望は必ずある。どんな壮絶な体験も、今目の前にあなたがいるという現実がある限り、乗り越えることができる。人を信じるというのは結局そういうことなんだと、ひどい疲れの果てに感じている。
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