「何も考えずに立ち上げた会社を10年続けられた理由」
2020年7月。コロナ禍による未曽有の影響で世界の死者が50万人を超えてなお勢いが衰えないこの悪夢のような日々、自分の経営する会社にも情け容赦なくその波は直撃してきました。4月からの売り上げがほぼゼロとなり、自分のいる業界がいつ復活するか誰にも分からない状態が続いています。出口の見えない暗くて長いトンネルで苛立つ毎日の中で、今だからこそできることは何かを毎日考え続けました。
気が付けば会社を設立して今年の6月でまる11年。紆余曲折ありはしましたが、このような大きな危機に直面したことは1度もありませんでした。リーマンショックの翌年に立ち上げたこの会社を今まで続けることができた理由は何だったのかをこの機会にじっくり分析し、記録しておこうと考えました。この危機から脱したとしても、今までと同じ方法ではもう生き残れないと考えています。
そもそも僕らは何のためにこの仕事をしているのか?普段忙しくてつい見失いそうになる本質的なことを、もう一度立ち止まって整理する絶好のチャンスだと捉えました。これから書くことは「こうすれば成功する」とかのビジネス自己啓発の類ではありません。ひとつだけ前置きしておきますが、ここに書くことが決して正解ではないということです。というか正解なんてどこにもないので、あくまでも1つのケーススタディーとして読んで頂けるとありがたいと思います。
1、 OUNCE(株式会社オンス)とは?
東京を拠点に活動する小さな映像制作会社です。近年益々需要が高まる映像業界ですが、その中でも特にニッチなウェディングに関連する映像制作が現在の主力事業となっています。創業からの制作実績は5000案件以上。今まで一度も営業をしたことがなく、宣伝広告費も一切払ったことがありません。それでも毎年売上が伸びていて、スタッフが現在約30名ほどまでに増えました。
1.1(2003~2009)
10年ほど過ごしたアメリカから帰国したのが2003年の末。本当はそのまま向こうに移住するつもりでしたが、911のテロによってそれが難しくなり、やむなく帰国した自分を待っていたのは就職氷河期でした。両親がそれぞれ自営業をしていたという環境で育った自分にとって、なかなか会社に就職できないということにそれほど危機感はありませんでした。結局はどこにも就職せずに、フリーランスとしての活動をスタートすることになりました。大学の映画学科で手に入れた知識とスキルは当時日本ではまだ珍しく、大した苦労もせずに外資系大手を中心とした色々な会社の映像関連の仕事を任されるチャンスを手にすることができました。同時期に始めたウェディング映像の仕事は下請け会社のアルバイトだった為、あくまでも副業というポジションであり、ウェディング業界自体に興味があるわけでもなく特に何も考えずにお金のために請け負っていたというのが正直なところでした。
そうこうしているうちに仕事は順調に増え、一人では手に負えなくなってきたのでアルバイトを雇うようになりました。また、下請け会社の仕事であるウェディングにおいては自分より明らかに技術が劣るのにギャラは皆同じという状況に納得ができず、じゃあ自分で直接集客しちゃおうということでホームページを作りブランドを立ち上げることにしました。2009年6月。開業してまだ1年も経たない地下鉄副都心線、北参道駅から徒歩3分の新宿と表参道に挟まれた「アパレル産業集積地」に家賃12万ほどの事務所を借りて法人として会社をスタートさせることにしました。初期メンバーは3名。僕と社員1名、パート1名という内訳です。社員の男の子は5年ほどアシスタントとして一緒に働いてきた子です。パートの方は下請けしていた会社からヘッドハントしたという感じで、主に窓口業務をお願いしました。
事業内容は大きく分けて二つあり、一つは企業向け映像制作事業。そしてもう一つはウェディング映像制作事業です。平日は制作の打ち合わせや施工に当て、土日祝日はウェディングの施工で埋めて1週間を無駄なく効率的に使って仕事をすることができました。ただし、会社を立ち上げはしましたが経営者になりたいとか事業規模を拡大したいとか業界を変革したいとかいう起業家的野心や志は1ミリもありませんでした。そういうことなので、チームとしてのヴィジョンや戦略も特にありませんでした。あるのは旧態依然とした質の低いこの国のウェディング映像への憤りと、制作で著名人や芸能人と仕事ができるという軽いミーハー的なものしかなかったんじゃないかと思っています。
1.2(2010~2014)
創業時の制作とウェディングの仕事の割合は6.5:3.5。ウェディング事業は集客を自力で始めたものの初年度(2009年6月~2010年3月)はわずか8案件。ウェディングの下請けを継続しながらでないと、とてもじゃないけど売り上げが立たない状態でした。しかし、2年目に入ると自力集客が34案件に増加。加えてこのタイミングで第一のブレイクスルーである「写真会社との提携」という機会を得ることができました。この業務提携によって、その写真会社が提携しているホテルや結婚式場からの映像商品を一気に請け負うことになり、求人を出さないと人手が足りない状況になりました。この業務提携によって会社の売上は2倍になり、求人して採用したクリエイターを教育し、マネジメントするという業務が発生することになりました。組織的に人を採用して育て、運用するというノウハウや知識をまったく持ち合わせていなかったため、とにかくいいものを作っていればいいとしか考えてなかった自分にとっては未知の領域であり、新しい挑戦だったと思います。
そして創業から4年目の2013年、第二のブレイクスルーであるウェディング業界大手との業務提携が決まり、全体の仕事量が一気に倍増して売上も倍に跳ね上がりました。この頃になると自然と優秀な人材と良質な仕事が集まってくるようになり、チームとしてもある程度の規模に膨らんできました。人数と仕事が増えればそれだけ組織が複雑化していくことは避けられません。がむしゃらに質のいいものを作ることだけを考えてやってきましたが、真剣に「経営」ということに向き合わなければいけない時がいよいよ迫ってきました。
1.3(2015~2020)
2015年で創業から6年が経ち、この頃の制作とウェディング業務の比率は1:9。一見制作が激減したように見えますが、実際は制作の売上は変わっておらずにウェディング関連業務が爆発的に増えたという内訳になります。チームとしても大きな変化がありました。創業メンバーが全員退社し、会社での働き方を抜本的に見直した改革を行うキッカケとなりました。
そしてついに自分はクリエイターとして撮影や編集ばかりをやっていくわけにはいかなくなる段階が来たのです。一時期は経営のプロを外から雇って、自分はプレーヤーに専念したいという構想もありました。「会社を経営する」ということなど特に深く考えずにやってきましたが、ふと気づいてしまったのです。自分はビルとビルの間に張った一本のロープの上を綱渡りしているのではないかと。今まで順調に仕事が増え、スタッフの数も増えて売上も上がってきましたが、実はすごく絶妙なバランスの上に今この瞬間は成り立っているのではないかと。
それからというもの、会社運営に必要と思われる知識の習得や業界及び市場に対するリサーチなどにかなりの時間を費やすようになりました。それから5年、売上は毎年順調に上昇し、業界内での存在感や影響力もそれなりに大きくなり、気が付けば唯一無二の素晴らしいチームに成長することができたと感じています。
2、会社を10年続けられた理由
なぜ今まで営業もせず、広告も打たずに売り上げを伸ばし続け、小規模ではあるが一定のスケールを保ちながら会社を続けることができたのか?こういう質問をよく投げかけられます。そして自分なりに説明できる範囲で理由を考えてみた結果、3つの主な要因にたどり着きました。
2.1 クオリティーコントロール(品質管理)
2.2 中量生産(身の丈に合った経営)
2.3 フレキシビリティー(変化に対する柔軟性)
ブレずに思いつくのはこれらの要素であり、常にどこかで強く意識してきたものです。経験を重ねて新しい知識を得るたびに、これらの要素が少なくとも自分にとっては正解だったのではないだろうか。10年経った今、やっとそう確信できるようになってきました。
2.1 クオリティーコントロール(品質管理)
一人でやるならばたとえ採算度外視したとしても、思う存分自分がいいと思うものを追求して作るのもよいと思います。問題は2人以上集まってチームを形成した場合の作品の哲学や美意識の整合性をどうとるのか。成果物の品質(この場合は映像の品質)を高い水準に保ったままコスト意識を考慮しつつスケールを出していくことを解決していかなければいけません。
しかし、現実問題として数を増やせば質は落ちる。労働集約型の私たちの仕事にとっては永遠のテーマと言ってよいと思います。スケールをある程度のスピード感をもって大きくしていく戦略を取るならば、言語化してマニュアル化するのが一般的な手法でしょう。ただし、言語化できるということは裏を返せば誰にでも真似できるということになります。
OUNCEには基本的な映像の教科書のようなものは用意してありますが、誰もが短期間で実戦デビューできるようなマニュアルというものは存在しません。なぜならば、この仕事で一番大切なのは「言語化できないもの」の存在だと考えているからです。そして言語化できないものは簡単に模倣できません。例えば機材や撮影編集技術などは容易にコピーされますが、言語化できないものは自分たちの頭の中だけにあるので簡単には盗まれないのです。
ここでいう言語化できないものとはずばり「自分がグッとくる美的感覚」のことです。それらの感覚は言葉で説明することが難しいため、それが何であるかをチームで共有しあうには相当な時間とコミュニケーションが必要となります。つまり時間をかけてチームに蓄積していくものだと考えています。スピード感をもってスケールを拡大していくビジネスモデルには親和性が低いと言えますが、OUNCEのような小規模チームではそれが可能であり効果を発揮したと思っています。
品質をコントロールする上で大事なもうひとつの要素は「多様性(ダイバーシティー)」です。OUNCEでは創業時から多様性を最大限に尊重してきました。皆が同じようなものを作るという画一的なことを出来るだけ排除しようとしてきました。なぜなら、画に表現される活力や力強さといった要素(ダイナミズム)は多様性から生まれやすいのです。北海道から沖縄まで画一的なライフスタイルが整った日本よりも、多種多様な人種や文化、生活環境や価値観が共存するアメリカの方が圧倒的にダイナミズムが生まれやすいと言えます。
さらに大きな問題として、量産して規格化することによるクリエイターのモチベーション低下が挙げられます。一定の品質を安定供給できるメリットと引き換えに、新しい挑戦やクリエイティビティは抑圧されるからです。これでは多様化した顧客のニーズに柔軟に対応することができません。クラスの成績の標準値を基準に授業を進める日本と、成績優秀者にはどんどん飛び級させるアメリカの教育の違いが良い例でしょう。どちらが正しいということではありません。できる人もできない人も同等に和をもって貴しとなすのであれば日本式。多様性の利点を強みにするチームを構築するのであればアメリカ式のやり方が合理的であるということです。
このようにダイナミズムやモチベーションが発生しやすい「多様性」を前提とした環境を整えることで「言語化が難しい感性」を少しずつ醸成して蓄積することができました。チームの世界観やトンマナ、哲学や文化はこうしてある程度の時間を要して形作られ、作品のクオリティーを担保し、より強固なものにしてきたと思います。品質を維持するということは、それだけ手間暇をかけてメンテしなければ成り立たないのです。OUNCEが何故そこまで品質に拘るのかというと、それが信用に直結するからです。そして信用がなければ事業は継続できないのです。
2.2 中量生産(身の丈に合った経営)
大量生産でもなく、一人親方的少数精鋭でもない。ちょうどその中間に位置する「中量生産」こそがOUNCEの目指すべき立ち位置だと考えています。作家性を保ちつつある程度の規模に対応できるスケールメリットを維持し続けること。その為にはむやみに拡大せず、ナチュラルな成長を目指すことです。目先の利益に惑わされず、常に本質的なものの見方を指針にして原理原則を念頭に置いてさえいれば、チームを堅実に運営することができます。
単純接触効果をあてにしたフォローアップ営業を駆使して、ひたすら支配地域を拡大していく従来のビジネスモデルはいずれ限界を迎えるでしょう。なぜならば、顧客のニーズはますます多様化し、営業の力だけではもうカバーできなくなってくるはずです。発信する商品サンプルと実際に納品されたものの品質の落差が大きければ大きいほど、信用は失われていきます。とはいえ既得権益はそう簡単には消滅しないでしょうから、我々のような小規模チームはいかに「戦わずして勝つか」を考えなければなりません。
もし大手と競合したとしても、正規戦では勝ち目はありません。小規模チームが生き残るには、不正規戦闘(ゲリラ戦)を戦う以外に方法はない。原理原則を守り、外交戦略(戦わずして勝つ)に注力する。もし戦わなければならないときは、深い谷やジャングルの奥深くに相手を誘いゲリラ戦に持ち込む。どういうチームにしたいのか。そのチームで何を目指したいのか。そういった指針が少しずつクリアになってきたので、あとはその方向性に沿って戦略を立て、効果的な戦術を練ってチームを前に進めていくことができたのだと思います。自分たち自身の武器と弱点を正確に把握できたことが、事業をここまで続けられた一つの要因だと思っています。
2.3 フレキシビリティー(変化に対する柔軟性)
基本的に人は変化を恐れる生き物だと思っています。まあまあ居心地がいい安定した環境が変化すると不安や恐れを抱くようになり、この先もずっと今のままでいたいと思うようになります。現状維持することだけを考えるようになると、やがて思考は停滞し成長は止まります。これは会社を運営するにあたって特に注意深く警戒しないといけない問題です。
OUNCEのような小規模なチームは、柔軟性をもって環境の変化に臨機応変に対応していかなければ、どう考えても生き残ることができない。小さいチームに必要なのは各人が自分の頭で考えて行動できる自立した個の集合知であり、それこそがOUNCEにとって合理的な「会社組織」のカタチではないかと。
その為には、従来の日本型雇用システムの概念から解放される必要があると思いました。仕事ができる人もできない人も定年まで会社が面倒を見る。会社は家族であり、人生は会社を中心に回る。作れば売れる高度成長期に合致したこのメンバーシップ型雇用システムが、今限界に達しようとしているのは周知の通りです。このオールドスクールなシステムに昔から違和感をもってきました。
そして創業メンバーがすべて退社したタイミングで、スタッフ全員にフリーランス(個人事業主)として契約してもらうことにしました。やりたくない仕事はやらなくていいし、請け負った仕事は責任をもって完遂してくれればあとは基本自由という感じです。小さい細かい仕事や作業にも値段をつけて、やりたい人にやってもらう。勤務時間や仕事をする場所ももちろん自由。フリーランスなのだから、OUNCE以外の仕事を並行してやるのも自由。もしもこのシステムが肌に合わなければいつでも出ていくことのできる環境を整える。
抑圧的ではない極力フラットな組織形態を目指して、数えきれない小改造を繰り返してきました。そして重要なのが、全員にチャンスを平等に与えるということです。チャンスを生かせた人もいれば生かせない人もいる。前者は富み、後者は自然と脱落していく。ドライに聞こえるかもしれませんが、そうやって組織は少しずつ進化していくのだと思っています。
最後に
ということで、長くなりましたが株式会社オンスの成り立ちから、今まで会社を続けるにあたって意識してきた3つの要素をお話しさせていただきました。最後にもう一度書いておきますが、正解はどこにもありません。あるのはたったひとつだけ。働く人が豊かになるような組織(システム)を作りたいということだけです。なぜならば、豊かな人生を送ってない人間が、他人の人生を素敵な映像作品として表現することなど到底できないと思っているからです。
最後の最後に、僕たちのYouTubeチャンネルです。興味のある方は是非ご覧ください。
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