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シルベウオの夜光灯

海で迷った時、何を頼りにしたらいいか知ってるかい?
星の光はあてにならないよ、英雄が死ぬと数が変わるからね。

海で迷ったらシルベウオの光を探しなさい。
この不思議な魚は闇の中で迷う者がいると
ぼんやりと光って『目的地』を教えてくれる。

水面に輝く冷たい光の方向へ舵を取ると、
その銀色の道は船を目的地に導いてくれるんだ。

シルベウオの夜光液は迷える者の守り灯なんだ。
お前が迷ったときには、この灯りを燈しなさい。

* * * * * * *


 父さんが海で死んで、明日でちょうど10年になる。ちょうどといっても亡骸を発見してから、だけど。船の残骸や人間の死骸と共に、島の浜辺に流れ着いていた。

 父さんの最期の姿だというのに、僕は正直なところよく覚えていない。
 ただ、海からの青白い光に照らされた顔を見て、ああ、苦しんで死んだんだ、と察したことは覚えている。

 父さんは海が好きだった。いつだったか「自分がもし海以外の場所で死んだら死体は海に流してくれ」なんて冗談めかして言っていた。幼かった僕は「お父さん死んだらいやだ」と言って泣いたっけ。あの時の父は慌てていたな。でも小さな子供にそんな話をする方が悪いよね。

 父さんは海で死ぬのを見越してしていたのだろうか。少なくとも多少の覚悟はしていただろう。
 島から出て外国へ行き、仕事を受けては食料や生活の物を持って帰ってくる。僕が物心ついた頃にはもうそんな生活を続けていた。
 父さんはいつも土産として外国の道具や書物、珍しい花なんかを持ち帰ってくれたけど、そんな土産を傍らに置いて話してくれる旅の話が僕はなにより好きだった。

 背中の翼がいつも燃えている種族の話や、クチバシマイリという奇妙な祭りの話、歌の上手な姫君の話や、人魚と恋人になった人間の船乗りの話……。

 シルベウオの話もその一つだった。
この魚は夜、ぼんやりと光って海路を見失った者の道標になるのだという。その話をして、シルベウオの油で灯るランプをお土産にくれたんだっけ。迷子のお守りだと言って。

 父さんが帰ってくることがなくなってからも、島で生きていくぶんには困らなかった。木の実や虫は豊かに存在したし、食料は十分にある。身を濯ぎ、渇きを癒す泉もある。雨風をしのぐ住処も、退屈になった時に読む書物さえもある。

 どうしようもなく胸の中がざわつくときは、父さんが流れ着いたこの浜辺にやってくる。そしてぼんやりと海を眺める。
 荒れては鎮まる不規則な波とは裏腹に、僕の心は凪いでいく。
 心臓に絡みついていた胸のざわめきは、その正体を捉える前に波の音に溶けていつの間にか消えている。
 ―僕は、海が嫌いだ。

 その夜も胸のざわめきは僕の心臓を支配していた。今夜は特にひどい。
 こいつの正体がなんなのか、いつもわからない。痛みも苦しみもなく僕を眠らせない。そんなものは父さんのくれたどんな本にも書いていなかった。
 ふと父さんの土産のシルベウオのランプの事を思い出した。迷える者の道標……。
 僕は身を起こし物入れの木箱からそれを取り出す。結晶化されたシルベウオの標本に爪を立てると、溢れた油をランプに注いだ。
 青白い光がふわりと灯った。

 僕はランプを携えて浜辺に来た。月の無い夜だった。肩を広げて、翼で風を受ける。冷たい潮風が心地よい。きっと朝にはざわめきも消えるだろう。
 波の向こうに見えるのは見渡す限り果てしない水平線だけ。僕の世界はここが端っこだ。本当にこの遥か向こうに父さんの話してくれたような様々な世界があるのだろうか? 知っていなければとても信じられない。そして実際に知ることは無いのだから、きっと考えても意味はない。

 僕はこれからもここでこうして生きていく。海は何も示さない。それなのに僕から何もかも奪っていく。まだ知らぬ世界も、たった一人の家族も。悪意すらなく。僕は、海が嫌いだ。

 父はなぜ亡骸を海に流してほしいなどといったのだろう。僕にはわからない。

 ためいきと共にランプの光が瞬いた。炎ではないので瞬くはずはないのだが。視線を落とすと、ランプの光の向こうに見慣れないものが見えた。

 緑色のガラス瓶が青白い光を反射して浜辺に転がっている。そっと拾い上げて見ると、中に紙が入っていた。広げて見るとそれには乱雑な文字がびっしり書かれていた。
 ランプを持ってきてよかった。照らしながら読んでみる。
 ―いとしいアーニャへ。…………。

 そういえば、父はなぜ僕に文字を教えたのだろう。生きていくのには必要ないのに。僕にはわからない。

 読み終えて、暫く海を見て、また読み返した。それを何度か繰り返した。時間はかなり経っていた。
 あの胸のざわめきは相変わらずそこにあった。でももう苦しくは無くなっていた。別の思いがそのざわめきを押さえつけていた。

 ーこの『手紙』を、どうしても届けなくては。

 自分でも信じられなかった。そんなことを思うなんて。手紙を届ける? 海の向こうに行く? 頼れる者もいないのに? どれほど先に陸地があるかもわからないのに?

 気の迷いだ。バカだ。そもそも今夜の僕は平常じゃなかったんだから。迷いを振り切ろうと視線を海に向けた。

 海面に、光の道が出来ていた。

 揺らぐ黒い波の下、光を放つシルベウオたちが集まってぼんやりと身を光らせている。波はその光を閉ざすことは無く、優しく浮かび上がらせていた。
 光の群れは一筋の列を成して、はるか水平線へと続いていく。銀色に輝くその道の先は、夜の終わりの色をしていた。


* * * * * * *

 その朝、クランパン地方のとある無人島で暮らしていた
ただ一匹のドラゴンが、
海の彼方に飛び去って行きました。
 どこを目指していたのかは誰もわかりません。
ただ朝日が昇った方向へ、まっすぐに。

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