つまんないことで心臓なんか跳ねないでほしい

 
もう運命みたいに鮮明にしかひとに会いたくない、もうさざ波みたいにおだやかにしかひとと過ごしたくない、日常、生活のうつくしさばかり吠えているから、自分の日常のみにくさがいつも腹立たしい、フィクションの詩、フィクションの短歌、うすぼんやりした思想だけの雑記、けれど、どれもわたしをけずりとって生まれていくような気がした、
“君”はだれでもないけれど、あなたであるってこと、それが、どうしようもない救いだって、思っていなきゃ、また、かんたんに大事なはずのもの、なにもかも捨ててしまいそうになる夜がある。
 
 
もっと生々しいエッセイを書きたいなって思いながらまたこんなこと書いてるの、いつか書きたいことばかり、逆行した通学路の人の波の中の息苦しさとか、昔かみさまみたいに好きだったひとのこととか、思うばかりで、今あざやかに書いていたいことなんて本当はないのかもしれなくて、
自分でもとんでもなく衝動的に、だけどおそろしいくらい冷静に、詩を書いている、短歌を詠んでいる、そんなあいだだけ、生きたここちがするとか、しんだっていいとか、罪悪感ゼロで嘘をつける。
文学にならないものだって悪じゃなくて、いとしくてうつくしくて、って叫ぶためのからだだって誰かに認めてほしい、
やっぱり愛しあう以外に生きる方法もしにかたも知らなかった。






生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。