明日もきっとねむる前には
明日なにがあるかもわかんないし、運命とかタイミングとかあるのか分かんないけど絶対無いって言えないし、ひとはみんないつか死んだりするし、それってすっごい怖くて絶望しそうだけどとんでもなくわくわくする希望でもあるし
毎日毎日考えることなんかほとんど同じでさ、ままならない生活のこと、捨てられない自分のこと、愛されたくて愛したくてしかたないってこと、そんなことばかりどうどうめぐり、
もうやんなっちゃうなぁ、身動き、とれなくなっちゃいそうだよって落ち込んでも、結局、わたしはわたしを愛してたし、わたしの思考を愛していたので、それに従って共存して生きるしかないよなぁってほんの少しあかるくなったりする、諦念じゃなくて、選択のはなし。そう、わたしというひとは案外図太いのだ。
10年後のこと、5年後のこと、来年のこと、確実なことなんて、明日ですらひとつもないってこと、すごく恐ろしいよなって思う反面、ただひとつの希望でもある気がするの、ねぇだって頑張ったらさ、とんでもない幸せに出会えたりするかもしれないんでしょ。
未来だってどうせいつか今になるんだし、過去になっちゃうんだし、だから、今をできるだけ大切にしたいよねって、そう信じてやまないまんま、
生活をかろうじて営む、明日を今日にして、今日を昨日にして、いきていく、
たぶんどんなふうになっても、そうやって、いきていくんだと思う。
寒いことともうすぐ1年が終わること、街がきらきらし始めたりすること、さみしさに変わったりするんだろうか、
ここ数日はポケモンばっかりやってるんです、わくわくして、そんで突然ふっとさみしくなったりするんです、だから笑っていることにします、感情、たぶん大げさなくらいでわたしにはちょうどいいから、
かわいいね、美味しいね、好きだよって、なんにでもだれにでも、素直になっちゃえたらなぁって、
これ、わりと毎年の目標です。
生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。