きみの泣き顔が見たいとか
踏んだことのないその表面の凹凸を、見たことのないその裏側の湾曲を、想像する。
うさぎの宴、星が映る飲み物の色や、重力を持つ食べ物の感触、真実なんてどうでもよくって、例えばひとりで本を読む痩せたうさぎは、かわいそうだから、存在しないことになりました。三日月、陰になったその隅から聴こえる鼻歌は、三十八万キロ先まで届かないのです。
孤独って、目に見えたりするんですか?
(散文『クレーターの真ん中で聞きたいことがあるよ
』より)
やさしくなりたいけど、やさしくありたいけど、やさしいってどういうものなのか輪郭をつかめずにいるの、
何年たってもばかだから、いつも笑ってるひとが例えば泣いている夜があるとか、輪の中心ではしゃぐひとがもしかしたら誰より孤独を感じているかもしれないとか、ひとりさみしそうなひとの心の中、おどりだしそうなくらい夢中なものがあるとか、そういうの、何度も知る機会があったはずなのに見なかったふりをして、羨んだり妬んでみたり中身のない同情をしてしまったりする、
そのくせ自分がそんなふうにされるのは嫌がったりして、ねぇ、笑ってても心の中はさみしくってどうしようもないときもあるのよって、喚いてしまいたくなったりする、つくづくわがままだよね、でも、そうやって自分をころさずにいたいの。
どうしてこんなにも上手に生きられないのだろう、上手に、ひとといられないのだろうと何度も思うけれど、それだってきっと、みんな自分よりずっと上手にできているように見えるだけで、呼吸がしにくいこと、悟られないようにもがいているひとだってたくさんいるんだろう、
そのひとが自分の場所を確保するまでの努力のことを知ろうともしていないって、わかってしまって、恥ずかしくってちいさく縮こまってしまいたくなる。
誰にでも眠れない夜はあるよって、自分でも忘れないようにだれかに伝えられるように言葉を使いたい、それが、救いになるか絶望に変わるかはわかんないけどね。
そんで、やさしく、やさしくいたいのだ、それができたら、やわらかいところですきなひとと息ができるんじゃないかって、信じてやまないのだ。
生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。