きみのことなんか918番目に嫌い

 
幸福なときはみんなみんな大好きだし、悲しいときはみんなみんなどうでもよくなるし、悔しいときにはみんなみんな嫌いになる。
身勝手なのがあたしだけじゃないって知るにはインターネットは極端で、生温くて居心地が悪いのか、地獄の釜に迷い込んだと絶望すればいいのかわからない。
 
 
大袈裟なことばかり話すけど結局大まかにはしあわせではあるのだと思うから、カネコアヤノのかみつきたい、をかわいく口ずさんでみる、
まだ足りないな、ほんと“自ら不幸にはならない”けど、だからといってこんなもんじゃ満足できない、欲深いことは罪ではないよ、あたしが許すよ。許されなくてもいいんだけど。
 
 
 
思い出せればそれで良かったから写真に撮らなかった景色のこと、打算的に写真に撮っておけば良かったと思うことほどつまらないことはない、
何かを捨てなければ何かを得られないなんて誰かがついた(大人にとって)都合の良い嘘にはひっかからないけど、万が一そうだとしても捨てるべきなのはあたしの可愛い感性や美しい信念なんかじゃないことはわかっているし、そんな大層な話でもないね。
 
 
読み返してもその日何があったのか、どんなものを見たのかもわからないようなこの散文と詩の区別がつかなくなればいいと思ってるのは、
詩のこと、そんな大層なもんじゃなくていいから日記を読み返すように、でたらめな歌詞を歌うように、犬の動画にハートをつけるみたいにあなたに触ってほしいだけで、
 
句読点は今日も暴れる、息を吸うところは君に任せる、はじめてのキスみたいに。
 





生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。