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明るい葬式
やけに柔らかい陽射しに気づくと、酒を飲んで暴れるばかりだった父親が死んだあの春のことを思い出して気分が悪い。
おれはまだその一度だけしか葬式に出たことがなくて、だから多分、真っ当な葬式ってやつの、哀しみが日を遮ってできる暗さも、思い出がろうそくのようにぽつぽつと灯る明るさも分かっていない。
思い出すのは死んだという事実や面倒だった遺品整理のことで、もうすぐ3年になるというのに身体に馴染んでいる気がしない高校のブレザーを羽織って、ほとんど話したこともない親戚と並んで席に着いた葬式自体のことはもうあまりよく覚えていなかった。
覚えているのは、退屈だろうと思っていた読経は何を言っているのかは分からないけどわりと聞いていられたってこと。
それから、外面の良かった親父を真面目でおだやかな人だと称えるだけの、小学生の作文みたいな弔辞のことくらいだ。
読経よりも退屈でくだらないそれを聞いているあいだ、親父が死んだことを告げる医者の声を聞いたときよりももっと体温が下がったようで気持ちが悪かった。
ハッピーエンドにもバッドエンドにもならないつまらない邦画みたいに、あの場で立ち上がって、そんなのそこで死んでる親父の本当の姿じゃねぇって叫んでやればよかったのだろうか。
そんなことをしたからといってこの喉の奥に張り付いた過去を飲み込むのも吐き出すのもできやしないってことは、目の前に飾られた綺麗な花や、いつ撮った写真かも覚えていない遺影が思い出させてくれる。
死んでいるのだ。親父はもう。
悲しいわけではない。むしろもう親父がいないということは、安い酒の匂いや怒鳴り声に心を乱されなくていいということは、おれの腹の中を火葬場の煙が立ちのぼるあの春の空みたいに晴れやかにした。
でも、逃げられた、とは思った。
おれはもう、何も親父のせいにできないし、親父に何の復讐もできない。 親父が十数年かけておれに植え付けた種はしぶとく、ぼろぼろの骨と一緒に燃え残ってしまった。
こいつらはこれから先も、なにかの弾みで時折心臓を食い破って食虫植物みたいなきったねぇ花を咲かせるんだろう。
おれはその度に、ちくしょうどっかで野垂れ死んでくれ、と思っては、その0.3秒後には、あ、もう死んでるんだったな、形式的にでもそこそこの数の人間に弔われて、と、思い出さなければならないのだ。
テレビから、有名な俳優が病で亡くなったことを厳かに伝えるアナウンサーの声がする。
ぼんやりと画面を見つめながら、ユカが口を開いた
「どっかの国だとさぁ、お葬式にパレードみたいなのやるんだってー。音楽かけて踊りながら練り歩くみたいな」
「へぇ。まぁ、長生きして大往生したら悲しまれるよりはそっちのが良いな」
葬式が亡くなった人のためにあるのか残された人のためにあるのかは分からないが(儀式的な意味ではなく、もっと心的な意味で)、おれがそこそこ寿命を全うして葬式をされる側だったらそう思うだろう。
「だよね。うちのひいばぁちゃんもさぁ、100歳越えてたしー、元気……っていうかパワフルな人だったから。80越えたくらいからいつも言ってたの、葬式はパーっと、笑いながらやってくれーって。
実際お葬式のときも、式の最中以外は親戚みんなでわいわいしててね。ひいばぁちゃんの武勇伝を披露する会、みたいな」
ユカもそうなりそうじゃん、とぼそっと告げると、あんなエネルギーないよ、と呆れたように笑った。
ユカの身体の中には、綺麗な花が咲いているんだと思う。詳しくないから分からないけど、黄色とかオレンジ色の、可愛い花。
机の上には、ユカが家に来るたび、酒に酔ってもおれは誰のことも、ユカのことも殴らないってことをおれが確かめるためだけに買いたがる缶チューハイの空き缶が数本置かれている。食虫植物どもは種を蒔いた本人に似て水よりも酒で元気になることを知っているのに、おれは親父とは違うことをこいつらに思い知らせるためにそうするのだ。
といっても、おれはひと缶も飲めば眠たくなってしまう質なのでまともに酔えたことがない。まだ3分の1以上は残ったままの目の前の缶以外の数本は、ふだんから酔っ払ったみたいな喋り方をするくせにいくら飲んでも顔色ひとつ変えないユカが開けたものだった。
「おれが死んだときは、葬式でパレード流してよ」
「パレード?パプリカ?」
「あー、そっちでもいいや。シロップのつもりだったけど」
「パプリカの方にしよー、盛大な、パレードばりのお葬式するからさぁ。ふたりでお金貯めとこうね。先着1名限定です」
「うれしくねぇ先着限定だな」
嬉しくないと言いながら、おれはできればユカよりも先に死にたいな、と身勝手に考えていた。
キスをするわけでもなくほんの少しだけ顔を近づけると、ユカの口からは親父よりも少し甘い酒の匂いがする。
食虫植物に内側から齧られて、おれの胸はまだ時々、つまらないことで痛くなる。
それはユカがどれだけ優しくしてくれたってきっと無くなることはないんだけど、でも明るい葬式ができるくらいには長生きしようと思えるから、おれはユカのしょうもない雑学やあり得なくていい未来の話を聞くのが好きだ。
いくら胸が痛んでも心ごと食べられてたまるか、と、いつまでも正気でいるために、おれにはユカが必要だった。
「あ。カレンダー、見てないの?先月もわたしが破いた気がするー」
目を合わせたおれの後ろに見えたらしい100均で買った無駄に大きいカレンダーは、4月になってもう5日も経っているのにまだ3月のままだった。
ユカは立ち上がるのも面倒そうにぺたぺたと四つん這いでおれの横を通り過ぎ、それを破ると、空いた缶を大雑把に端に寄せて机の上に広げる。
「ねー、それ取って。ボールペン」
そう言われたおれがリモコン立てに手を伸ばしボールペンを引き抜いて渡すと、小さくて丸い手がそれをカレンダーの裏に走らせ始める。
「何描いてんの」
「九相図」
「クソウズ?って何」
「なんかねぇ、仏教の絵でー、あるんだよ。外に放り捨てられた死体がどんどん腐って、動物に食べられて、骨になるまでの絵」
さっきまでパレード葬式の話をしていた人間が描くのにはヘビーすぎる題材を歌いながらすらすらと描き進めていく。
そもそも落書きでそんなもん描こうとする奴がいるか、と口をついて出ない程度には、おれもユカの人となりを理解し始めているのだろう。
幸か不幸か、お世辞にも上手いとは言えないユカの絵ではほとんど何を描いているのか分からないが、ユカが言うにはぐちゃぐちゃの死体らしいその絵の裏には、親父の命日の日付が透けて見える。
もう死んでいる親父。
野垂れ死ぬことも、種を撒くことも、明るい葬式を願うことももうできない親父。
ユカの歌うでたらめな歌詞のパレードを聴いていると、心臓を巣食う花が1輪、枯れた気がした。
春は巡る。どうせまた花は咲くけど、おれは胸が痛いくらいでは死にはしない。
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