きょうのそうびはどれにする?
新品のワンピースや箱の中でころがるイヤリングを見ていると、ほんと、人生ってわかんないもんだよねって思う。
そんな大層なことじゃないんだけど、だって、中学生のころのわたしは、肌の透けるレースの袖を可愛いって思ったり、顔の横でイヤリングが揺れることで心が弾んだり、レッドブラウンのリップを選んだりするような日、一生来ないと思っていた。
ひとって良くも悪くも変わっていく生き物らしくて、多分、いま頑なに思ってることも10年くらいしたら、なんなら2,3ヶ月も経てば、許せたり好きになったりしてるかもしれないなってくらい。
現にわたしは、一生着けないと思ってたアクセサリーを宝物みたいに箱にしまってはお出かけのたびに選んでいたりするし、口1個しかないじゃんって言われながら新しいリップをいくつも買ったりする。昔の自分が見たら、おまえ何やってんだってすっごい顔したりすんのかな。こんなことダサいから一番言いたくないんだけど、若いねぇってげらげら笑っちゃいそう。
昔のわたしが着飾ることに抵抗があったのも、おなじ“鎧”なんだろうなぁ、と今のわたしは思う。
自分を守ることの意味がちょっとだけ変わって方法が少し器用になったり丸くなっただけで、だからなんの迷いもなく髪を切れたし、真っ赤なワンピースや総柄のシャツを“カワイイ”だけで選べるようになって、それってすごく健康的な気がしてる。
あのころ、わたしは感情を大事にすることに怯えていたのだ。そんな大層な人間でもないくせに、理知的なふりをする以外にアイデンティティを崩壊させないようにする方法がないと思っていた。結局そんなもんは大してなかったって気づいてしまったんだけどね、オトナには思春期、なんて聞こえの良い言葉にまとめられてしまえるんだろう、それでも自分にとってはそこそこ大きかったような気がする絶望に、いまは生かされてるってはなし。
何を鎧にするかも、ましてや鎧を着けるかどうかまで、誰のためでもなく自分のために決めていたいし決めてほしいし決めてよいのだと思う。
たとえばね、たとえばだけど、詩を捨てる日がくるのだとしても、その時のわたしがそれで自分を守れるのならそれでいいよ。詩を書く理由も生きる理由もしあわせになりたいから以外にもちろんなくて、だから、それがあなたの邪魔になるなら意味なんてないのだ。
今のわたしはそんな未来、見たくもないし無いと思うけど、絶対、なんてないらしいから、一応、ね。
生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。