だれかの3月もわたしの3月も

 
3月の予定を入れようと思って開いたスケジュールアプリにコイビトだったひとの誕生日が入っていて、別にもうどうも思ってるわけじゃないんだけど、ぼんやりとさみしくなった、ワンタップ以下で無かったことになる、みんな、そんなもんだよねと思う、なんだって維持しようとしなければなにもかもそのうち忘れてしまうし、なくても平気になってしまう、
それならもう、好きとか嫌いとか、めんどくさいしない方がいいんじゃないのって絶望や諦観にゆるく襲われて、全部だれか責任とってよってねむってしまいたくなること、あるんだけど、
それでもつながっていたいと思うひとたちを、思ってくれるひとたちを大事にしようって、奇跡みたいな希望に思えるときがあるからなにもかもやめられない、このひとたちと胸を張っているために頑張ってちゃんと成長しなければ、と、思えるひとがいることはしあわせで、
しあわせを、維持するのが、なんならもっと大きいしあわせにするのが、わたしのするべきことだっていつだって忘れないでいたい、
ふこう、って言い方はあれだけど、ぼんやり薄暗いぬるい沼みたいなところ、人のせいにしてつかっているの、楽だから、そっちに逃げないように。
 
 
 
  
3月ですね、みなさん、どうですか、いろんな、ほんとうにいろんなことがあると思うんですけど、読んでくれるひとが、まわりのすきなひとたちが、ていうかもうできればみんな、おだやかに暮らしていてくれたらなとそれだけ思っています。
ほんとうに、祈るしかできなくってやんなっちゃうんだけどさ、なんか、できることがあるときは精一杯すきなひとたちのしあわせのために動いてたいし、
あとね、いつも言ってるけど、わたしの言葉が、何かの力になったりしないかなって、いつだって考えているよ。






 


生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。