日記帳、埋まったことなんてなかったよな
言葉にしてしまいたいことがたくさんたくさんあるような気がするのになんだか上手にかたちにならなくって、乱雑でも構わないのだから吐き出してしまおうかなとインストールした日記帳のアプリにはまだ1文字も刻まれていない、のに、アンインストールしてしまえずにいる(することすら忘れるくらいなのかもしれない)。
誰に見せるでもなく詩をぐちゃぐちゃと書き連ねていたころの自分は、と、思ったけれど、あのころだって、いつかこれを大声で歌ってやるとか、そんな気持ちだったことを思い出した、そう、だれかに伝わんなきゃ、伝わんなくても伝わってくれよって祈らなきゃ、言葉が言葉になんないような気がするんだよ、ただの、記号がならんだみたいな、それだって、うつくしくないとは言わないけど、ね。
要するになんだって、醜くたってたぶんだれかに見ていてほしいので、ここで書き散らしたりきっとするからゆるしてねっておはなしです、そもそもそんなのどんなに上手に詩をかこうが、別に許可もなにもないんだけどさ、あぁ、やっぱ本当は言葉にしたいことなんて、ないのかもしんないね、それが、どんなにこわいことか、知らないきみがうらやましくって、くやしくって、好きだよ。
こんなご時世だって生活やら愛だのなんだのに相変わらず、なんならいつもより遠慮なく追い立てられて、でもそういう、そういうの愛おしいんだよねきっと、言い聞かせてるみたいだけどほんとにさ、いや、手放しに、楽しくて幸せなことだけあってほしいのは確かなんだけど、そういうの、諦めてないからたぶん、そのための自分なら大丈夫ってことで、
毎年のように年明けに、今年の目標は素直でいることですって言ってみたりして、もう4月も終わるくらいなんだけど、どうですか、わたし、まぁ例年よりは素直であれてるかなとか、思ったりするんです、
素直でいさせてくれるひとたちのおかげでね。
わかんないけど、絶望、してるみたいな顔で希望を歌ってもちゃんとつたわるって信じていたくないですか、どうですか。
生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。