8月、茹だるような夏と賞味期限のちかいヨーグルト
あつくなってヨーグルトばかり食べている、はちみつが入ったやつとか、バニラとかカスタードとかのうんとあまいヨーグルト、すぐにあまいものを食べたくなる身体も、そのくせ痩せたがって後悔したりするこころも黙らせられる都合のいいヨーグルト。おいしい。
大して使いもしなかったフリートがツイッターの画面から消えて、なんだか足りないような多すぎるような気持ちになる。
1日あれば薄れるくらいの違和感、そういうものばかりに囲まれていると思うとぞっとする、例えばわたしがこのタイムラインから消えても、そうなのでしょうか、お世辞でも今だけでもいいので、忘れられないよ、と、言ってくれませんか、忘れないよ、でなく、忘れられないよ、って。
言わせちゃうくらい鮮烈でいるの、わたしのシゴトだったね、朝が訪れるたびにループしてるみたいな心地、から抜け出したいから夜になるたびブルーライトの上であばれている、踊れるようになりたかったな。
きのうもついーとしたけれど、どろっと部屋に倒れているとしにかけみたいで、同時に、生きかけなのだよな、と思う、生まれたのだよな、と、自覚ができたのもつい数年前だったような気がする。
そりゃあ大人になんかなれやしないわけだね、生きかけの身体に過ぎた栄養ばかりやってまた眠る、
夏の夜は騒がしくて、余計にさみしくなったりする、わたしのまわりだけが、やけに静かみたいで。
また数カ月すればこの暑さのことだって忘れてしまうね、ひとは、都合よくあまったるいね、ヨーグルト、みたいだね。
生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。