きみもスカートのかたちを変える
年齢がふえていっているだけなのに 今までも正しく少女であれた気もしないのに どんどん“女”になっていくような感覚がする 別にそれが悪いとか良いとかではなくて 持っていた強い女性性に食い潰されてしまいそうなのがこわい 自分の中のけものを飼い慣らして 都合よく心地よくおんなになりたい
別にもともとほれっぽい方でもないんだけれど、たまに訪れた恋が終わって落ち着いたりすると、もうだれかを好きになったりしたくないなぁとぼんやり思ったりするのだった、愛されたいだの愛し合いたいだのばっかり言ってるのになにを、と思うのだけれど、自分の中の“おんな”に身体を支配されるのもこころを振り回されるのもひどく面倒になることがある。
上手にコントロールできない自分がわるいのだけれど、コントロールできるような恋ならはじめからしない、とも思う、おだやかな時間だけ、いいとこどりでひとと一緒にいらんないかなぁって、それに近づくには自分が自立したひとりであれるように努力するしかないんだけど、やっぱり、まるごとぜんぶぐちゃぐちゃになってもいいような恋しかしたくなかった、
年齢を重ねるごとについてまわるような気がするいろんなもの、ぜんぶぜんぶ放りだしちゃうくらいの。
別におんなだろうがおとこだろうがなんだろうが、恋なんかしなくてもいいんだしケッコンだのなんだのだって自由なんだし結局はひととひとどうしのかかわり合いでしかないって擦り切れるほど繰り返している頭のなかへ、シクシク泣き声や喚き散らすような声が聞こえたりするようで腹立たしい、うまれつき、おんなのわたしのお腹には自分の理性とか思想を超えたいきものが住み着いていて、わたしはかっこつけで見えっ張りなので、そいつが暴れださないようにおさえつけることばかり考えてしまう。
うつくしくなりたいとか、とんでもない承認欲求とか、そんなものもおんなの内からくるものなのだろうか、だとしたら、また、写真を撮るのが下手になりそうな気がした。
月にいっかい重たくなる腹、欲求も感情も内蔵に支配されたりして、そういうの繰り返していきていくんだと思うとうんざりするしおそろしくなる、
それでもどうせ、勝手にだれかを好きになっちゃったりするんだし価値観も生活も案外かんたんに変わったりするもんなんだろうし、これはしないとか絶対にこうしようとか、頑なにならないでいようと思った、
身体もこころも自由に、っていうのはそういうことなのかもしれない、変わっていくことも変わらないことも、憎まないでいられることなのかもしれない。
生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。