満月なんか見なくてもいいよ
10月になったんですね、早いなぁ、こんな調子じゃ、恋だけしてるうちにあっという間に一年が終わっちゃうね、今月にはまたひとつ歳を重ねたりするし、まぁ何が変わるわけでもなくって、自分の幸せを自分のはやさで追いかけたり維持したりするだけだなぁ、と、おだやかなときは思うのです。まわりを見たりだれかの小さなひとことがお腹にひっかかったりして、変に焦ってみたり、時々、しちゃうんだけどね。
どうしたってかわいくなりたくてダイエット、YouTubeの筋トレ動画を漁ってみたり、泣きながらアニメの最終回(デカダンスめちゃくちゃよかったです見て欲しい)を見たり、ともだちと岩盤浴に行ったり、こいびととだきあったり、詩を書いてみたり短歌を詠んでみたり、近頃はそういう愛おしい生活を愛おしく送れているような気がします、ありがたいことだよね、
それでもひとり(みたいな気分)で生活に追われてるあいだ、きらいなものも好きだったものまで忘れちゃいそうになる、ロボットになるみたい、ロボットよりよっぽど激しくってさみしくって利己的だから、ロボットに失礼かもしんないね。
なくても大丈夫、になった途端、好きなものも付随する感情も忘れそうになって、つくづく薄情で、容量の小さいやつだなと思うの、
サンダルをつっかけて満月を見にいくくらいの、道端の小さな花にカメラを向けるくらいの、すれちがった猫に話しかけるくらいの、丁寧さがあれば、と、ずっと思っていた、そういうことをてらいなく出来るかわいいあの子のことをどうしようもなくきらいになったりしたこともあった、一番大事なもの以外、大事にできなかった頃だった。
ああでも、そういう激しさのために文章を書いていたんだったなと今は考える、わたしにも、それぞれにうつくしいとおもうものだって、たくさんあるんだし。
ねぇ、あなたがその花を綺麗だと思えなくたって、冷たいなんて、つまんないやつなんて思わないけど、その代わりなにが好きか、なにが嫌いか、たくさん、たくさん、教えて欲しい。
生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。